「表現とユーモア」byマツオカショーマ
「君って、面白いよね。」
人生の局面で、幾度となくこの言葉をぶつけられた。其れも耳にタコが出来る程。
はぁ。またこれか。自分では面白いことを言っている、している自覚は何にもない。至って真面目に生きて、真面目に受け答えをしているのだ。
正直、この言葉を聞くと一種の自己嫌悪に陥る。もちろん言った側は悪気があって言っている訳では無いことくらい百も承知だ。
初めて言われたのは小学生の時だ。僕は足も速くなければ、勉強ができるわけでも無い。かと思えば、ルックスが良い訳でもなくスタイルが良い訳でもない。とりわけ無個性だと思っていたこの頃の僕にとって誉れな言葉だった。なにしろクラスの卒業文集のランキングコーナーで唯一1位を獲れた項目なのだから。
つまるところ早い段階から「面白さ」こそ自分の強みだと思っていたのだ。
そしてそのまま中学生に上がる。この時分は抜きん出た才を持つ者はより注目度が上がる。
”オレはその辺のやつより面白い"
"面白くないヤツはダサい"
そう、思考が完全に「勘違いパリピ」状態だったのだ。
しかし大きく変わったのが高校生の時だ。そんな勘違いをした儘高校に上がる。それまでの一コミュニティでしか通用するような笑い、所謂内輪ノリをやっていたことに気づくのだ。
でも、どうにかして皆を笑わせたい。
ある日担任の先生に怒られていた時に、周りの皆がクスクス笑っていた。僕は確信したのだ。
"僕が怒られていたら皆笑ってくれるんだ!"
それが僕の獲得行動になった。最初は小さなものだったのが、段々大きなものになっていく。「怒られる」という人々にとってはマイナスポイントになることを、僕は平気でやりに行くのだ。何でそんな怒られると分かっていることをするの??
当然周りの目は冷ややかになっていく。最初は面白いと思って見ていたものが段々哀れになっていくのだ。
あれだけ皆を笑わせたつもりなのに、何故か後ろを振り向くと誰も居なかったのだ。
強すぎるキャラクターが故に他を遠ざけてしまっていたのだと思う。
僕はただただ、自分の身を削って皆に笑ってもらうことで、好かれたかっただけなのかも知れない。ある種の承認欲求を満たしたかっただけなのかもしれない。
そこで漸く、自分が得たものは何も無い、ただ嘲笑の対象にされていたことに気がついたのだ。
そう気付いた瞬間、「君って面白いよね」=自分がバカにされているのだと認識した。
そんなモヤモヤを抱えたまま、大学、社会人へ。もう大人の仲間入りになるんだ、注目を引くような行動は辞めて、静かに生きよう。しかし…。
「君って面白いよね」
不思議かな、大学生になっても、はたまた社会人になってもまだこの言葉を投げつけられるのだ。
何故、なぜなのか。確かに僕は静かに生きている筈。
僕は知っている。その言葉、バカにしてんだろ??
相手の僕に向ける「面白いね」は余りにも無責任過ぎる。
そもそも、自分の何がそんなに滑稽なのかをよく分かっていない。
僕は堪らず、妻に聞いた。
「俺ってどこが面し」
「顔。」
即答だった。
なんだよ、そんな単純なことか。
しかし次に意外な言葉が返ってきた。
「アンタみたいな人、雰囲気も顔も会ったことないからジャンル分け出来ないのよ。」
眼から鱗とは正にこのことだ。
自分の意図していないところにユーモアがあったのだ。
そこで初めて、自分のユーモアないし個性を認識した瞬間だった。
僕は正直、エマ君のような文章が書ける程の才は無いし、斗馬君のように思慮深くなれる程、人生に含蓄はない。
その代わり、僕のユーモアは、他でも無い僕自身。具体的に何かと言われれば、未だに分からない。しかしその答えを見つけていくために、表現を以って模索していくのだと思う。
他人より物分かりが悪い分。
また、「面白さ」に苦しみながらも、且つユーモアを追求しながら生きて行くのだろう。
あの頃得ることが出来なかったものの為に。
Rain after Frogs Gt.Vo.マツオカショーマ