「なりたい自分」by マツオカショーマ
なりたい自分。
先日斗馬君がコラムを綴ってくれてから、自分がどのような人間になりたかったのだろうと思い返している。
何だろう。
将来の夢とかはなんだったけな。
幼稚園の時、箒をギターに見立ててみんなの前で弾き真似をしたら、予想以上に喜んでくれた。そこから僕は人前で演奏をすることの悦びを知ったのだと思う。
幼稚園の頃の夢=ミュージシャン。
小学校の頃は、当時あっていたテレビドラマや映画を観て海上保安官になりたかった。実際にイベントに行ったりしながら巡視船に乗せてもらった。現場の人から話を聞き、人や環境を守る姿がカッコよかった。
小学校の頃の夢=海上保安官。
中学生の頃は、音楽こそのめり込んでいた時期であったが、ケーブルテレビであっていたプロレスの試合を観て、プロレスラーになりたいと思った。スポーツは得意ではなかったが、関節技なんかを当時の学友に掛け合ったりしながら遊んでたっけな。
中学校の頃の夢=プロレスラー。
それから高校・大学と進んだが、「何になりたい!」は薄れていき日々を過ごした。
だけど、音楽だけはどんな形であっても僕のこれまでの人生に在り続けた。
高校・大学ではサークルや学友に恵まれながらバンドの愉しさを知った。
そして現在に至り、バンド活動をしながら音楽をしている。
将来の夢こそ成し得てはいないが、幼稚園の頃からの夢を形は違えど続けることが出来ている。
海上保安官とは形は違えど、人や環境を守る、役に立つ仕事に就いている。
プロレスラーとは形は違えど、人を楽しませたいと考えながら生きている。
話は変わるが先日、バンドメンバーのエマ君から「砂山のジレンマ」という話を聞いた。
砂山から砂を一粒づつ取っていったとして、どこからが砂山じゃなくなっていくのか?という話だ。
分かりやすいように僕に例えて、仕事、家庭、音楽etc...今自分を構成している要素のどこが無くなったら自分ではなくなるかという話をしてくれた。
話は戻って。
今現在の僕は、「なりたい自分」という展望的なものではなくて、現実維持的な「自分を構成している要素(アイデンティティ)を維持していく自分」であるのだと考えている。
「なりたい自分」=「失わない自分」。
Rain after frogs Gt.Vo.マツオカショーマ