人の本能って普遍なのかも

伊勢物語を読んだ感想になります。

今年の目標の一つに古典文学に触れるというものがありますが、1月中に達成できたので良かったです。

鎌倉のカフェで読み終えたのですが、一人になりたい時は鎌倉に行くようにしています。

観光地という印象が強いかもしれませんが自分が好きなエリアは人が柔らかくて話せばみんなやさしくて人間味がある素敵な場所です。

王道の観光地もいいですが、そういう人を感じられる場所の方が個人的には好きだなと、両方に行った結果思いました。




教養について

教養というもののかけらもない人間が書くのもどうかと思いますがご容赦いただきたい。

この伊勢物語は様々な身分の方の恋愛だったり、日常をどのように歌として切り取ったのかなど、感情の片鱗を覗くことが出来ます。

そんな中で、当時の一般的な身分の人は季節の要素やその土地の要素をそのまま歌にして想い人や相手に伝える場面が多かったように思います。

一方でいわゆる貴族(時代背景的にほぼ藤原家の人間)は、勿論季節や土地の要素も含めるのですが、その表現の方法が違っていたなと感じます。

勿論伊勢物語に当時の歌の全てが記録されているわけではないですし、製作者の切り取りや訳し方など、様々な変わってしまう要素は考えられますが、私が読んだ範囲では、貴族とそれ以外の身分の人間で明らかに言葉遣いや相手との距離の取り方が違うなと感じました。

個人的に印象に残っているのは、九十七段です。

桜花 散り交ひ曇れ 老いらくの 来むといふなる 道まがふがに

むかし、堀河の太政大臣と申しあげるかたが、いらっしゃった。四十歳の祝賀会を、九条の別邸で開催なさった日に、中将だった老人が、作った歌。

桜の花よ、曇ったように見えるほど散り乱れろ。老年というものがやって来るという道が入り乱れてわからなくなるように。

一言で言えば、”老いたくない”という意味になるかと思います。

うまく言語化できないんですが、老いたくないをここまで表現豊かにできるのがなんかすごいし、桜って普通散って行くのが綺麗とか儚いとか、満開の桜がとか、蕾を見てどうこうの解釈だと思うんです。そこを、曇るほど散り乱れろっていう発想が出てくるのがまずすごいし、桜を使って老いと言う若干ネガティブ気味かつ(恋愛や親愛ではない)個人の感情を表現できるのがすごい。

そう言う視点が身について、かつ桜というものをあまり使われない用途で使っても違和感無い形に使える頭の良さみたいなものが他の歌を作っている人物には見られなかったのですごいなと思いました。これは教養というより頭の良さかもしれませんね。

それと、貴族が通りすがりの女性に歌を送る(現代解釈だとナンパ?)場面がいくつかあるのですが、そこも純粋に遜ってお誘いするわけじゃなくて、なんかこう、自分を下げずに、貴女が私にとって魅力的なんですよ〜感(嫌味っぽくならない表現で)を出していてすごいなと思いました。

多分貴族の男性って女性への接し方みたいなものを一通り教わっているだろうし、身分がある女性も淑女としての振る舞いみたいなものを教わっているんだろうなと思いました。

だからこう、身分があるもの同士のやり取りとかは、無駄がないというか、恋愛!というよりは、さらっとしてる感じ。アラサーくらいの仕事バリバリしてて優秀しごでき男女のやり取りみたいなイメージで読んでました。かっこよかった。

だいぶ脱線してしまったんですが、読み書きできる!にはじまる最低限の教育が普及している現代もすごいんですけど、伊勢物語の時代のような格式高い教養が存在していたのかと感じられるのもまた凄いことだなと思いました。

今って一応みんな平等!みたいなことを言ってますけど、海外(主にヨーロッパ)だと早々に大学進学者と労働者組に分かれるシステムが採用されたりしていて、そこって悪く言えば格差なんですが、よく言えば本当に格式高い教養を叩き込まれるシステムが国主導で動いていることになるので、身分の差による弊害もあるかもしれないけど、すごいことだし、その教育を受けられる人はさまざまな場面で恵まれているのかもなと感じました。

教養が何かを語れるほど大した人間ではないですが、教養というものの片鱗は感じることが出来たし、少なくとも昨今出回ってる"これを読んで教養身につけようぜ"系の本をいくら読んだところで本当の教養は一切身につかないだろうなってことは改めて分かりました。



在原業平という人間について

今回読んでいて思ったんですが、みんな個性豊かすぎる。アニメ化できるよ。

この業平さん、多分超絶頭良くて優秀なんですが、なんと、恋愛というものが何かわかっていません!!!!!!!!(言語化はできるけど経験した事ないからわかんない系)
誰かヒロインを連れてきてくれ・・・

だからこの伊勢物語で色んな人の恋愛や感情の機微を学ぼうとしているという行動まで解釈一致すぎる。主人公にしちゃおうよ。

業平が読んだ歌もいくつかあるんですが、一人になることで恋の辛さや苦しみから離れることができるよ的な内容の歌も読んでいて、あ〜言いそう〜!!!!!!!!!!となりました。

書いていて伝わるかもしれませんが、僕は多分この人大好きです。

この人の頭の良さが最高に出ている場面があるので紹介します。(101段です)


昔、左兵衛の長官に在原の行平という人があった。その人の家にうまい酒があるというので、殿上人の左中弁藤原の良近という人を主賓として、饗応の宴を設けたのだった。行平は風雅を愛する人だったので、花瓶に花を生けた。その花の中に、見事な藤の花があった。花房の長さが三尺六寸もあった。それを題にして一同歌を読んだ。皆が読み終わる頃に、主人の弟が、饗宴のことを聞きつけてやって来たので、それをつかまえて歌を読ませた。この弟は、もともと歌のことなど知らなかったので、辞退したのだが、無理に読ませると次のように歌ったのだった。
  咲いている藤の花の下に控えてらっしゃる方が多いので、藤の花の影は以前よりいっそう大きくなるでしょう
なぜこのように読むのだといったところ、その弟は、太政大臣(藤原良房)が栄華のさかりにおいでになるので、藤原氏がことさらに栄える有様を思って読んだのです、と答えた。人々はみな、非難することをしなかったのであった。

主人の弟が業平になります。

なんかこう、ぱっと見藤の花をよく言ってるけど皮肉だよね〜みたいな感じが個人的好みもあって最高だった。

藤の花=藤原家で、そこに在原家(含む配下の貴族の家々)も下についているので、そのおかげででかくいられるんだぞ〜的な解釈かと思います。

説明下手なので各々考察読んでください。

大勢の前でこれを言えるのもそうだし、状況的にそれなりに身分がある(=歌も上手い)人が多い中でこれを読んで、誰にも文句言わせないっていうのが頭いい最強感があってとても好きですね〜。実力派エリート大好きです。


人の情緒について

今創作系で話題になっている属性だいたい網羅できてるんじゃないでしょうか?と思うくらいには色々ありました。

身分の差・出会うタイミングや結婚のタイミングによる諸々・浮気・不倫・未練・沼男沼女・シスコン・ナンパ・友情・再会・遠距離などなど
あげればキリがないです。

ここから感じたことは、人って理性を持った生き物とされていますが、アプローチの方法が他の動物に比べ少々理性的(当時であれば歌を読むとか)なだけで、根本の感情については大して進歩がないというか、普遍的なのではないかと思いました。

理性を使いつつ本能的という表現があっているかわかりませんが、一言で表すとそんな印象です。

文明の発展で生活は便利になったし、技術もできて教育も浸透して経済も成長して知識のストックからその進展もだいぶ早くなりつつありますけどそこって言ってしまえば理性の部分で、動物としての本能的な部分(それこそ感情とか恋とか)に関しては、大して変わってないんだなって思いました。

世界の大富豪も恋愛で情緒崩れるんだなとか思うとちょっと面白いですよね。僕はそう思いました。


これを知ったところでなんの役に立つかはわかりませんが、そもそも役立てようと思って読んでないし、ちょっとは面白いなっていう気持ちで世界を見ることが出来そうなので読んで良かったなと思いました。

今年の目標も1つ達成できたし、新しい価値観を学びつつ、昔の出来事を読んでいましたが、むしろ現在に対しての解像度が上がったので読んでいて楽しかったです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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