発達障害を受け入れて(8)
片づけられない-2
三年ごとに転勤があるので、引っ越しをしなければならないが、荷物を詰めるようにとダンボールを渡すと家からいなくなる。
友達とお別れに行くのだと言われれば、親の都合で転校させるので仕方がない。
とうとう最後まで自分の部屋を片づけないので、私が娘の荷物も詰めるしかなかった。自分でやらないのなら持ち物を全部捨てるから、と宣言しても逃げてしまう。本人がいないので捨ててもいいかと聞くこともできずに、すべてを次の家に持っていくしかなかった。
そうやって引っ越しのたびに荷物が増えていくので、引っ越しが関係ない普段に、いらないものを処分したり整理したりさせたかったのに、それもなにかと理由をつけて逃げていた。
初めは荷物を運びこんだだけの新たな部屋も、日がたつとゴミ屋敷のようになる。学校で必要なものが見つからなくて私が家探しをすることになる。平積みの教科書の隙間にクモが巣を張っていたり、ずっと返却していない図書館の本が見つかることもあった。
中学の頃はどうしてそんなに鞄が膨らんでいるのかと問う場面が多くなる。時間割を出さないのでたぶん必要な教科書だけでなくいらないものも入っていたのだろうと、今になって考えてみる。
プリントも一年分だけでなくて(卒業してから鞄を片づけるときに中を見たが)一年生から三年生までの必要なくなったプリントが下敷きになって入っていた。捨てることも苦手なのだということに気がついた。
高校生になると行動範囲も交友関係も広がっていくし、お小遣いも増えるから物が増える。
ちょうどダイソーとかキャンドゥとかが進出し始めた頃で、安くてなんでも手に入るから、本当はいらないんじゃないの? と思うようなものまで増えた。
しかし、受験勉強を理由に片づけない。私が片づけると試験に必要なものがどこへ行ったかわからなくなるから手出しできなかった。
借りたもの? 買ったもの? 貰ったもの? もう母には区別がつかない。手が出せないから部屋の中は布団が敷きっぱなしで布団の形のところだけ物が置いていない状態だった。
ここまで読んでくださっている方は、私が娘についてどこかがおかしいと思わなかったのか、とお考えかもしれません。
実は私も娘のことは「宇宙人かなあ」と言っていたのです。
小さなころから、医師や保健師さんに健診のときに尋ねてみたり、早いうちに子供のサークルに入れて先生や他のお母さんの意見を聞いたりしました。
そのたびに「お母さん、考えすぎですね」「心配しすぎだわ」「個性だと思ってください」などと言われました。
だから、これが娘の『個性』なのだと思って受け入れることにしました。
二人だけ「この子は普通の子ではない」と言った人がいました。そのことは別の回で書こうと思います。
大学時代は実家から通っていたので、時折部屋を覗いてみて床に隙間があれば掃除機をかけた。
就職させるときには必要なものだけ持っていくように言ったが、ちょうど娘の(就職のための)転居のとき、私も夫と転勤しなければならず、その二件の引っ越しの間が三日しかなくて娘の荷物までよく見てやれなかった。
そのために実家に置いておけばいいようなものまで詰めてしまったみたいで、新居は運び込んだ荷物でいっぱい。
私と夫は二日で娘の部屋を片づけ、家電製品を買い、家具を揃えた。
すぐに必要な食器や調理道具、洋服や靴などのいくつかの箱を開けて、娘を置いて帰ってきた。
今後は新しい暮らしを楽しみながら、自分でコーディネートするものだと思っていたし、自分たちの引っ越しも迫っていたからやむを得ず……。
ところが就職してすぐに適応障害になってしまったので、五か月後に迎えに行ったときには部屋は引っ越したときのままにダンボールは山積みのまま、ごみも捨てずに、床は(精神的なストレスで)抜けた髪が降り積もって黒い絨毯のようだった。これには言葉が出なかった。
その後、家に戻して抜け殻のような長い時間を過ごしてから、外へ出て行く元気が出て、今はまわりの人に恵まれてお仕事に行けています。
就職して給料が手に入るようになると買い物の量が増えた。
部屋は常に足の踏み場がなく、窓にたどり着くことが大変だ。
床に落ちている物の隙間につま先を入れて、足場を作る。戻るときにも同じ隙間を通ってくる。
どんどん積もるので、下の方に鋏や針が落ちていることがあるけれど、もう怒っても仕方がない。
何度か片づけるように言う、一年くらいは言うだけで待つ。それでも片づけないときは「母が介入します」と言う。それを何度か繰り返しても片付かないときは仕方がないから私が床の上の物を全部一度部屋から出す。掃除をして用途別に分別して戻す。すべて埃まみれなので、掃除には数日を要する。
なぜ自分で片づけられないか。
物が溢れすぎていて、ひとつひとつが見えないのか?
本当はそんなに欲しくないものだったのか?
プレゼントでいただいたものは、(自分が買ったものではないので)忘れてしまうから、パッケージのままになっている。
食べ物は買ったときは食べたいのだろうが、そのときすぐに食べないと忘れてしまう。部屋にそのまま持って行ってしまうと、袋にいれたまま見なくなるので、忘れ去られてカビたり、固まったり、缶が膨張したり。
食べたものの包みを鞄に入れたまま(外でポイ捨てはしないので)持って帰って忘れる。空揚げや菓子パンの包みはヤバい。
今あるものが足りなくなったら買うことにして、しばらく買い物を控えるという提案は難しいらしい。ストレスで買うのだろうか?
物があふれている方が安心するのだと言っている。俗にいうゴミ屋敷に住む人はそういう心理なのだろうか。
どうしてあんなに物があるんだろう!?
どうしていらないものを捨てられないんだろう!?
ゴミの分別ができない。捨てようと思わないからそのままになっている。
掃除をすることがストレスで文句を言っているのではなくて、私が死んだあと、娘がほかのきょうだいに迷惑をかけたり、家一軒まるごとゴミ屋敷にしてしまうのではないかと心配なのです。
親から育児放棄を受けていましたので、自分の子供は愛情深く育てようと頑張ってきました。ところが、子供が就職してすぐに発達障害を発病し、そこから長く苦しい時間が過ぎました。それらの日々を誰かに語ることなく過ごしていましたが、自分が苦しくなって、書き記したいと思うようになりました。