発達障害を受け入れて(7)
片づけられない-1
整理整頓が苦手な人は多いと思う。
題に掲げた「片づけられない」は、苦手のレベルを超えて片づけられないことを指す。
娘は一歳を過ぎておもちゃで遊びだすころには、散らかっている状態が好きだったらしい。
夜中に起きた時に床の上に落ちているおもちゃを踏むのが嫌だったので、夕食のころに私が一度おもちゃを片づけると、また出してきて床に散りばめる。
『遊んだ後はおもちゃを片づける』という習慣をつけたかったが、どうしてもできなかった。
「親が片づけてしまうからだ」「子供に自発的に片づけさせなければ習慣がつかない」と周囲から言われたが、自発的に……を待っているとおもちゃだけでなくティッシュペーパーとか新聞とか手の届くものをなんでも床に置いていくのだ。
居間を掃除して、別な部屋を片づけて戻ってきたら、鉛筆が床に置いてあって、踏んでしまった私は思い切り転んだことがある。
手の届くところに置くからだ、ということでなんでも高い所に置くようにしたが、それでは根本的な解決にはならない。
絵本も読んだあとは、新しい本を出すついでに出した場所にしまうのだよと教えても、出しては床に散りばめていく。
若い人はなじみがないと思うけれど、音楽を録音したカセットテープがケースごと棚に入っていたら、すべてガシャガシャと雪崩おろす。
ビデオテープも同じ。
散らかるときの音が好きなのかと思っていたが。
学校へ行くようになると机の上は教科書やノートの山で、宿題は食卓テーブルでする。
教科書は背表紙が見えるように机の上に立てて並べるのだと何度やって見せても平積みのままになった。
時間割を机に出しておくように言っても出さなかったので、たまに職員室で電話を借りて「忘れ物を届けてもらえないと授業が受けられない」と先生に言わされていた。
何が必要なのか書いてある学校のプリントは鞄の中でくしゃくしゃになり、教科書の重みで粉になる。一人目の子供なので、そんなにプリントを渡されているとは想像できなかった。
勝手に鞄を開けるようなことをしたくなかったので、しつこいくらい請求したがプリントはほとんど出さなかった。
娘の同級生のお母さんたちがいろいろ教えてくれるので、私は焦って締め切りが過ぎたお金を届けたりした。授業参観があることを当日の朝に隣の奥さんから聞いたりした。
本当は先生に渡されたものがあるのに「ない」と言って出さないのは、見せたくないのかと思っていたが、今になって考えれば『ただ渡されたもの』には思い入れがないのでもらったことさえ忘れてしまったのかもしれない。
同じように新学期に新しいシューズバッグを持たせたのに(参観日に学校に行ったらロッカーにないので)娘にどこにしまったのかと尋ねるとバッグのことも憶えていなくて驚いた。その形状も、持っていったことさえ憶えていない。
「じゃあ学校まで靴をどうやって持っていったのか」と尋ねてもわからないと言った。学校に落とし物として届けられてもいなかった。
当時、学級でいじめにあっていたので、その子たちに盗られたのかと疑って、それを言えないのかと思ったりした。
でも、初めて持たされたバッグに思い入れもなくて、見た目も憶えていなかったとしたら、記憶に残らなかったのかもしれない。
この少し前に、娘はインフルエンザにり患してかなり重症だったので、熱が下がっても数週間はひらがなが書けなかったり、記憶障害になっていたからだ。
学校行事や教材の頒布など、締め切りまでに返答をしないことで学級担任にはいつもご迷惑をおかけした。申し訳ないから役員になって頻繁に学校へ行くことで先生とのパイプをつなぎ、先生から情報を得ることにした。先生方にはいろいろご面倒をおかけしたが、私もできるだけ学校のために頑張ったのだ。
この話は長いので「発達障害を受け入れて(8)」へと繋ぎます。