360°全方面から輝いてる人間など居ない
最近思うことです。
「世の中に、”幸せ”な人間なんて誰一人として居ない」と考えるようになったら、他人をうらやましく思ったり妬ましく思ったりすることが少なくなりました。実際、世の中に「幸せ」な人間も「不幸」な人間も存在しないと私は思います。幸せな他人も、不幸な他人も、全部自分が見て聞いた一部分から作り出した幻なのです。
人の人生というものは、「幸せ」「不幸せ」などというシンプルな一言で表現できるものではありません。その人の人生はその人にしかわかりません。他人には、ほんの一部分しか見えていない。それを見ただけでやれ幸せだの不幸だのと他人が決めるものではないし、本人ですらそれは一生分からんことだろうと思います。
少なくとも、私は自分が生涯を終える時、「幸せだった」と思うことはできない。あることでは満足し、またあることでは悔い、やりきったこともやり残すこともあるだろう。人間というのは、非常に複雑な感情を持って、非常に複雑な世界で生きています。様々な感情で覆われた、中身の見えない多面体であり、その人を取りまく世界もまた、多面的な環境を作り上げています。
なので、私が目で耳でとらえている他人が光輝く「きんのたま」を持っている見えたとしても、それは「きんのたま」に見えているだけであって、「きんのたま」ではないのです。だから、「あの人はきんのたまをたくさん持っていていいな…うらやましいな…」と思うのは非常に幻想的・妄想的であるなと。
人をうらやむ心理は否定しません。仕方ないことです。人間という生き物は、自分らの考えで他者と自信を比較し、優劣をつけ、自分を磨きあげたり、ときには他人を攻撃したり、蹴落としながら生きていく生き物です。進化と生存のために、そういった思考が必要なので、他人を羨む・妬むのは人間として自然な思考です。オートアクションです。
大事なのは、そこでの行動です。満たされない自分(と感じている感情)を満たすために、どういった行動をとるか。誰にそれを行うのか、ということです。何が足りないのか、何を求めているのか。それを冷静に探すと、「どうすれば満たされるのか」が分かりました。
「幸せ」はこの世に存在しません。他人が持っているものでもないし、自分が持っているものでもない。だから私のこともうらやましがらないでほしい。私は幸せではありません。きんのたまを持っているように見えたら、それはあなたの幻です。だからといって不幸でもありません。私の人生は私にしか理解できません。私は私の人生だけを理解することができ、他人の人生を理解することはできません。他人のことを分かったようでも厳密には分かれないし、自分のことを分かってもらおうとも思っていません。それは極めて「理想」というに等しい。
だけれど、理想であるがゆえ、幻であるがゆえに、創作の中ではそれを創り出せると思っているし、私は私の創作の中で「幸せ」を表現したいなと思う。存在しないもの、手に入らないものだからこそ、頭の中で創り出す空想の世界に、「幸せ」が存在していてほしい。存在しないけれど、絵やお話として「描く」ことはできると思っています。だから創作って素敵なんだろうな。
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