迷惑をかけてはいけない、というのは本当なのか。
他人に迷惑をかけてはいけないと思う気持ち。多かれ少なかれ、こういう気持ちをもっている人がいるし、それは肯定的にも否定的にも評価される。
就労移行支援事業所において就職活動のサポートをする立場として、誰かに迷惑をかけてしまうことは必ずしも悪いことではないなという思うことがある。
誰かに迷惑をかけてはいけないと思うこと
・誰かに迷惑をかけてはいけない、かけるべきではない。そう思う気持ちは僕にもある。よくある。
・自分自身、迷惑をかけないように生きている部分もなくはない(20代のころよりはだいぶ変わってきたとは思う)
・「迷惑をかけないように生きる=失敗を恐れて行動が鈍化する」になりがちだと思う。
・行動が鈍化する、というのは不本意だし、よくない。
・よくない、と言われてもそう思ってしまうものである。
迷惑をかけられる側として思うこと
・仮に自分が迷惑をかけられる側として思うこととして。
・誰かに迷惑をかけられることをどう思うか?
・そこまで気にすることではない。「余裕がないとき」はその限りではないけど。
・余裕がないとき、というのは自分の問題もしくは天災的にどうしようもないことである。
・だから迷惑をかけられたその人の問題では、実はない。
・でも、そういうことも迷惑をかけることを恐れる側の人には俯瞰的に見えていることもある。わかっているんだけど(でも気にしてしまう)という場合がよくある。
わかっているんだけど、という心境の背景
・いろいろわかっていても、迷惑をかけることを恐れることがある。
・つまり、そこまで考えなくても良いとは思っているんだけど、ということがある。
・なぜそういう心境になるのかもざっくり断定できる気がする。
・「親の影響」か、「とても恥ずかしかった経験」かのどちらか。あるいはどちらも。
・迷惑をかけるのを恐れる、失敗を恐れる、という心境を改善していく方法には過去と向き合うことと、迷惑をかけてみる事が考えられる。
人間らしく生きること=苦労がある人生であること
・生きていく上で苦労は伴う。生きることは苦しさがある。
・苦しさがあって良い。苦労があって良い。
・だから誰かを傷つける、誰かに迷惑をかけることがあって良い。
・誰かに傷つけられる、誰かから迷惑をかけられることもあって良い。
・不測の事態にどう対応するか、考えて行動することは大事。
・課題に対応することは人間がずっとしてきたことではないか。
・それなら迷惑に対応していく、というのも生きていく上で重要なことではないか。
迷惑をかける、かけられる、ということにとらわれずに他人と関わり会えたらそれ以上の豊かな時間はないのではないかと思うこのごろ。
思考の旅は続く。