『夏のはらっぱ』を開きました。
2024/7/20(土)
『夏のはらっぱ』
〇はじめに
2024年7月20日(土)
誰でも集える遊び場、『夏のはらっぱ』を開きました。
いつもの『学び舎 もりのはらっぱ』ともまた違った場になり、感じたことがとてもたくさんあります。
長くなるのでnoteでまとめることにしました。
ほとんどが開催直後に書き下ろしたものなので、文章をきれいにまとめていません。
その方が感動が伝わるかなと感じています。
◯全体
・普段の縄文楽校での活動と全く違う。自然の規模も違う。体験の豊かさも、受け止めてくれる力も違う。
その分危険度も増すので、緊張感が増す。
・緊張感があることで、1つ1つの体験が強く心を動かす。
・自宅から遠い、普段行かない場所だという時点で、非日常的な空間になる。いつもの自分を一旦脇に置いて新鮮な体験を味わうことができる。
極端に言うと、小さな生まれ変わりのような感覚。
・一方で、日常に近い場所で行われる遊びの良さもある。
主催する側の目的や方向性、その時の状況によって選択して行ければ良い。
◯感動したこと
・山に入るんだ!!私だったら、安全な道を行くので精一杯。
子どもたちは、着くなり山に入るんだ!!
しかも、30分も早く着いて遊び回ってる。
・他にも、山や沢を散歩したがるこどもたち。興味を持つ大人たち。
山を買う友人も、遊びの付き添いができる山のサポーターさんも、「遊ぼう」と言って楽しめる子どもたちも大人たちもすごい。
・一緒に山に行ける人がいるから、「行こう」って思う。
もりのはらっぱでの私はどうかな?好きな料理とか畑とか。夢中になっている姿を見てもらえるのは、それはそれでいい。
もっと、「遊ぼう」って言ってもらえるといいなと思う面もあり、同時に子どもたちだけの遊びの世界も大切にできたらとも思う。
結局は、大人も子どもも関係なく、その場で遊びたいと思った人と遊べばいい。
・人それぞれの持ち味だから、1人で全ての役をこなしてしまうのではなく、いろいろな持ち味の人に来てもらう。それが近道かもしれない。そうすると、集まった人同士が互いに影響を及ぼし合って先に進む力になっていく。
・火のおこし方…いつもはマッチやチャッカマンに頼ってばかり。雨上がりの場合など、それでも苦労する日も。
今回は、山にススキやねこじゃらしを捜しに行くところから。
上手く見つからずに、工夫して燃えそうなはっぱとかを見つけて来たのも楽しい。
思い通りに行かなかったらどうするのか?柔軟に状況判断して動く力が育つ。
自分たちでたき火の燃料を調達する。上手く火が起こせたら、料理を作って食べることができる。伝えていないのに、はらっぱ的な要素を分かってもらえてありがたい。
・思った以上に周りの食いつきがいい。
・何とか見つけたはっぱなどと、虫めがね、ファイヤースターター、スチールたわしなどで着火を試みるもなかなか点かず。
わっと人が集まる。
ちょっと後に見た時には既にボーッと炎が燃え上がっていたので、目を丸くした。
〇日本のものづくりとわくわくする道具
・昔のかき氷機の精巧な造り。何て美しいのだろうか?日本のものづくりにかける情熱がまたここでも感じられた。
・いくつかの歯車が見事に噛み合って、かき氷機が動く仕組みが表から見てよく分かるようになってる。
回す人に押さえる人。おわんを回転させる人。ジュウーサーもそう。昔の道具って、人がどうしても力を合わせるようにできている。そして、魅力的で人が集まるし、会話が生まれて飽きない。
・たき火も似ている。薪をくべる人、料理を作る人。協力し合うとおいしくできる。
〇かき氷やたい焼きもただのパーティーとはまた違う
・ただのかき氷パーティー、たい焼きパーティーで終わらない。
・食べたかったら自分たちで材料を用意するところから。
もちろん、強制ではない。
用意できる人は、少し多めに持ってきて分け合うことも体験する。
・「氷がなくなっちゃう、何でお母さんは氷を持ってきてくれなかったの」って母を叩く子。
かき氷のことだけではなく、いろんな気持ちが混ざってるんだよね。
心や身体に溜まっていた何かを、山で外に向かって出して行ってくれたんだね。
・核家族化、少子化、加えてコロナ禍で人と触れ合う機会が減っている。
少し足りない、不便ということが、分合う気持ちや知恵を育てる。人と人との会話や親密さを生むことにつながる。
・だから、主催者が大きな氷を買ってお膳立てをするのがいいか悩んだし、実際に氷を買ってからもこどもたちには内緒。
最後の最後で出したら、「あるなら最初から言ってよ。」と言う子も。「知ってたら頼っちゃうでしょ。」と伝えたら、みんな「し~ん(沈黙)」。
・おかげで、各家庭で工夫して氷を作って持ってきてくれていた。
・知恵をしぼって参加するとさらに楽しいし、かき氷は何倍も美味しい。自分たちが用意したかき氷を、他の人にも分け合えるのが嬉しい。
・かき氷機を回した時のあの手応えのある爽快な感覚。氷の冷たくて優しい味わい。感動が身体感覚を伴うことで体験が新鮮に響く。鮮明に残る。
◯感じたこと
・用意しないつもりで大分抑えても、帰りの車に乗り切れないほどの荷物。
竹や木材などの素材は意外と使わなかった。素材を集めるのは、人とのつながりを築くためだったのかも?
用意しなくても、人が集まって自然があれば十分。
・開いておいて言うのも何だけど、遊び場もフリースクールも、わざわざ日時を設定して開かなくてもいい世の中だったらなあ。
これが日常の中で自然と繰り返されたらなぁ。
・昔は、場があれば自然発生的に人が集まっていて、今回の夏のはらっぱみたいな状況がわざと設定しなくても繰り広げられていたのではないか?
今は、わざわざ「遊び場」や「居場所」を作らなけれならないほどに「遊び場」や「居場所」が限られている。
今回みたいにあえて、「非日常」もいいし、「日常」もいい。
◯薪割り
・普段体験できない、丸太ごとの大胆な薪割り。子どもも大人も食いついていたし、そこに人が集まっていた。
この人だからこそ身につけた技術。それを目の当たりにすること、普段は出会えない刺激に出会えることが興味を引き、驚かせ、人の心を動かす。
・見た目よりもずっしりと重たい。日頃、薪をもらって燃やしているだけなので、薪や自然からいただくことのありがたみがずっしりと伝わった。
◯食
・簡単でも力の強い野菜の入った料理を。たき火の火でさらに力強くなるし、分け合って食べることで、楽しい気持ちが体にも心にも栄養になる。
・採れたての野菜を持ってきてくれた方も。
・持ち寄ると、偏らない。自分だけで選ぶと似たようなものになり、偏る。健やかな野菜や食材が一部混じっていれば大丈夫。
アレルギーなどがある方は気にかけながら、幅広く食べておくといい。
例えば、震災の避難所では、添加物や小麦粉製品を避けることのほうが難しい。
体調に影響を及ぼさない程度に日頃からある程度体に慣れさせておく。好きなものを食べて喜んでおくことも必要。
(病気を抱えている場合や、特別に食に気を付けている場合は別です。)
自然の中で、みんなで「ありがたい」と感じながら食べると、体や心に有効に働いてくれる。
・主催者がそこまで用意しなくても、それぞれがわくわくするものを用意してきたら十分なのかもしれない。
◯こどもたち
・森から戻ると、「葉子さん、見て見て!!」とばかりに、拾った卵(小さくて白くてゴムボールみたい)を見せてくれる。パッションフルーツみたいな実も。
「へえ~!!よく見つけたね。これ、何だろうね?」
相手が知らないものを自分は発見できた。
見つけたことが本当に嬉しくて、体全体や声からも嬉しさがにじみ出ている。
・目を丸くして、キラキラさせているこどもたちの姿を何度も見た。もりのはらっぱの何倍もキラキラしてる。これには驚いたし、純粋に嬉しい。
・ジュゥーサーに夢中。
こどもが夢中になってたら、大人も「甘い!!」と寄って来て喜ぶ。
夢中になっている大人の姿を見せようとしていたのに、逆だった!!
夢中になっているこどもが大人の心を動かしてる。
・たき火と料理を見ながら、「昔ってこうやって料理してたんだね。」としみじみ。
散々たき火してきたのに、改めてそんなことを思うんだね。そのありがたみを分かっている大人が、「そうだね」って実感を込めて返事ができることもこどもにとって大切。
◯大人
・親子連れで来た場合、どうしても母親は子どもを見る、子どもの世話を焼くことが中心になってしまう。大人こそ遊ぼう。
それができるためには、子ども同士でたっぷり遊べる環境や、遊ぶのが好きな大学生など、子どもに付き合える人がいるといい。
・どんな遊び場なのかが分かりにくいという声もあった。こどもは、「いついつにどこどこに行くよ」という説明で済んでも、大人にとっては思い描けないものは分かりにくい。自由と言われると困るので、手伝いを申し出てくれた方も。
自由がいい人は自由でいい。自由だとどうしたらいいか分からない人には、まずは役割を担ってもらったり、遊びを提案できたらいい。
・役割を担ってもらうにしても、こちらからは必要最小限だけ伝え、1つ1つは指示を出さない。「どう思う?」と聞く。
・暑さもあってか、のんびりしている雰囲気が伝わってくる。
ゆったりしてくれているんだなー、ゆるんでいるんだなと分かる。
・こどもと遊ぶ人、料理を手伝ってくれる人、薪をくべる人、たい焼きに夢中な人、まったりする人、ボーッとする人、しゃべる人、食べる人、洗い物をしてくれる人…
まさに十人十色!!
・大人にとっては、こどもたちのへこたれない心が印象的だったらしい。
・家でたい焼きが思ったように焼けなかったので、「たい焼きを焼きに来た」というお母さん。
・ばっちり焼けたのが嬉しくて、家で諦めていたたい焼きにスイッチが再び入った。
・山や沢に大人や、子どもと行ったのが楽しかったって子どもが言った。以前から挑戦しようとしていた山歩きを改めて企画しようとしていた。
心が動くと火が点く。もともと持っていた力が湧いてきて次の行動に挑戦できる。
◯主催者はどう過ごしていたのか?
・主催者自身も一番の参加者。
・やっぱり私は料理を作って人に振る舞うのが好き。
・趣味の梅も。梅干しや梅シロップに入れた梅を振る舞う。美味しいと言ってくれるのが嬉しい。
・合間合間で、人と人をつなぐ。お昼の時間が過ぎていたので、それぞれを紹介だけしてサーッとお昼を作りに。
そしてまた作ったものを振舞いたくなり人の所へ。料理が途中になっているのでまた料理の所へ。
行ったり来たり。
◯人との関係
・混沌とした時代。これからを生き抜くのに、子どもたちに残せることは限られている。ならば、こどもたち自身の直感を磨き、生きる術や力強さを育てるのが一番。財産は、お金や土地や財宝のことだけではない。たとえ身一つでも生き抜く知恵と力。それが財産になる。
・なるべく人に頼らず、知恵を出せるように、「取り仕切っている」、「任せれば安心」という雰囲気は出さないように心がけた。
・通常、プレーパークと呼ばれる遊び場では、子どもたちに介入したり、禁止することを控える動きがほとんど。その一方で、はらっぱでは趣が少し異なる。
他の大人が「それはダメ」、「ちょっと待って」と介入したり禁止したりするのも見守る。愛情を持って接してくれた上で伝えられる介入や禁止は、子どもにもちゃんと伝わる。
大人にとっても、「極力何も言わないようにする」、「言いたくても腹の中にしまう」というのは無理がある。
・愛情を持って、なおかつ伝えることは心からきちんと伝える。
「ここまでは大丈夫。ここからはやめておこう。」というある程度の枠組みを示してあげると、子どもは安心して自分を出すことができる。枠があることで、「これ以上は本当に危険なんだ。やめておこう。」という、危険性についての認識も強まる。それは、枠の中でがんじがらめにしたり、強制するのとは全く違う。
・同じ場にいても、30人近くいると紹介しきれない。
後から、「〇〇さんいたの?話したかった。」ということに。
先に顔ぶれを見ながら、この人とこの人とをつなぐということを意識しておけると良い。
◯遊び場を続けること
・プレーパークや子ども食堂、居場所などを運営する仲間たちも来てくれた。
・普段のもりのはらっぱは、個々が育っていく姿を丁寧に追ってゆく。そこに、心理士として経験の中で得てきた専門的な技術を応用している。
だから、技術料をいただくし、責任の比重も主催する側に大きく乗っかっている。
その分、本来の力を発揮して人がぐんぐん育つ。
・対して、遊び場(おひさまのはらっぱ)は、責任の比重は参加者の方に乗っかり、個々の育ちよりも広い部分(場の作り方、過ごし方、人と人とのつながりなど)が意識される。
・それぞれにつながり合うものではあるけれど、性質が大分異なる。両方の車輪を上手く使い分けたり互いに活用しながら、何が起こって来るのかを見て行く。
・始めたとしても次につながるのかどうか?遊び場を続けるってすごいこと。
・無理せず、自分が楽しんでいたらいい。それには、わくわくする方向に進めばいい。
・はらっぱは、自分で生き抜く力を育てる場。だから、周りが決めずに自由も保証する、一方的に与えるのではなく知恵を出し合う、頼り過ぎず自分の力を出せるようにと心を配っている。
必要とされる時には手を差し伸べる。
・ちょっと意地悪に見えることもあるかもしれないけど、目指す所はもう少し先。結果は後から出てくる。
・他の遊び場やフリースクール、公立の学校には、また別の想いがある。方法が違っても、それは役割分担だし、互いに補い合うものだと思う。
その他、地域で行われているおまつりやイベントも、はらっぱとはまた違うけれど、主催する側の想いが軸にあれば、参加する側にとっては尊い経験になる。
・逆に、主催する側の軸がない場合には、単なるイベントやおまつり騒ぎに終わってしまう。
軸がはっきりしていて、向かう先を描けているかどうかが大切。
・はらっぱには来ることができない、建物の中で過ごす方が安心ではらっぱには今は合わない…その場合は他の場にお任せする。それでもまだ場が少ないこと、悶々と悩んでいる方々もいることも課題として感じておく。
・その場ですぐに出てくる短期的な結果もある。参加するのにはある程度の心のガソリンと体力、冒険心、挑戦する気持ち、人と関わろうとする意欲がないと行こうという気にならない。遊び場に来たその時点で、すでにその人は変わり始めている。
◯その他
・悠々としすぎて、段取りが悪い。その分、「葉子さん、そろそろ豆腐を入れないと。」などと周りが気にしてくれて、結果的に周りを動かす。自分が張り切りモード全開だと、周りは黙って、何も考えず従うだけになるだろう。
主催者がちょっとゆるんでいることも大切。
そうしながらも、全体に気を配っている。
・ハンモックで昼寝もしたかった、山や沢にも行きたかった、たい焼きも作りたかった、薪割りもしたかった、珈琲の臭い消しやドクダミチンキも作りたかった、もっとゆっくり話したかった、ボーッとしたかった…
自分ができなかったことは、他の誰かが代わりに楽しんでくれた。人が集まる意味の1つがそれ。自分ができなくても、誰かが代わりに楽しんでくれたら嬉しい。
・ゴミの持ち帰りについては伝えていなかったけれど、「ゴミ袋ない?」と頼る発想は気になる。主催者はゴミ袋を用意すべきであって、持ち帰って処分するのも当たり前?
・それでも、律儀に誰かが設置した小さなゴミ袋。中にゴミが入った状態で誰も持ち帰らず、見事に置き去りに。結局持ち帰るのは主催者?
ゴミは各自で持ち帰りましょう。山の基本でもある。
燃えるゴミで安全な素材なら、たき火で燃やしてもいい。
これまでだったら、私も主催者に甘える方だったと振り返るきっかけになった。まずは自分の意識が変わった。これからは自分の責任で。
◯まとめ
主催者につきまとう不安。
・たき火や鉄板で火傷したら?
・のこぎりで手を切る人がいたら?
・かき氷機の刃の部分も怖いよね?
・山で遭難する人がいたら?
直前になったらもうそわそわして、「早く終わってくれたら気が楽なのに」と考えたり…
終わってみたら、大丈夫だった。
かき氷機で手を挟んだ、小さなやけどをした、沢に入ったらヒルが足についてた…
危険を知ったり対処できるようになるためには、少し危険な状況に身を置くといい。
始めと終わりに山に挨拶をして、合間は敷地全体を意識しておく。
結局は、おてんとうさまや、山や、じいちゃんが見守ってくれていたんだろうなぁ。
『夏のはらっぱ』に参加したことで、その日から何かが変わってゆく。
暮らしに知恵や工夫が生まれる。
自分がどこに進んで行こうかと、自分で方向を決めることができるようになって行く。
そこまではっきり意識できなくても、心に強いものが残る。
そしてまた、日々の『学び舎 もりのはらっぱ』へつづく
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