「鉄路の行間」No.3/島崎藤村『山陰土産』と難読駅名
島崎藤村と言えば自然主義文学の代表的な作家と言われ、生々しい描写が続く小説が知られている。その中にあって『山陰土産』は軽妙な紀行文だ。
中国地方は不案内で、山陰を旅するのは初めてと言いつつも、この作品は気候風土文化を鋭く感じ取った佳作と呼べるのではなかろうか。大阪を起点に、まず城崎へ向かったのは、1927(昭和2)年の7月。そこから12日間にわたって夏の山陰を観察して回っている。
停車した駅の名前も、一つ一つ確認してゆく。秘書役であった次男の鷄二とも、
「父さん柏原といふところへ來たよ」
「柏原と書いて、(かいばら)か。讀めないなあ。」
などという会話を交わした。
駅名には興味があったようで、出発前には地名の難しさに苦しむのではないかと懸念しつつ、車窓をよぎる石生(いそう)、養父(やぶ)、八鹿(ようか)など、いわゆる「難読駅」にも大いに注目していた。
豊岡まで来て急ごしらえの建物が増え、城崎の駅や旅館がまだ真新しい新築の建物であることには、藤村も心を打たれたようだ。1925(大正14)年にこの地方を襲った北但馬地震の爪痕である。関東大震災の記憶もまだ、彼の中に生々しく残っていたことであろう。人ごととは思えなかった心情が、数々の被災地の描写からもうかがえる。
もし、2021(令和3)年の東北を見たとしたら、どういう感慨が藤村の胸中に生じただろうか。
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