「鉄路の行間」No.14/平岩弓枝『旅路』に登場する鉄道員たちが働いた舞台
「人生は旅路、夫婦は鉄路」。神居古潭駅跡近くに立つ、平岩弓枝の文学碑には、こう刻まれている。大正の末から戦後、洞爺丸事故まで。鉄道職員の室伏雄一郎と妻の有里の半生を描いた『旅路』は、NHKの連続テレビ小説にもなり、1967年に放送された。
テレビで知られるようになったのは、旭川に近い函館本線の神居古潭駅。原作では雄一郎が初めて駅長として赴任したところで、石狩川の美しい渓谷をのぞむ、谷間にある駅だが、1969年に線路移設により廃止された。今、旧線はサイクリングロードになっており、元神居古潭駅舎は休憩所として保存、活用されている。
また、ロケに登場した蒸気機関車9600形9633号機は『旅路』で有名になったためか、その後、梅小路蒸気機関車館(現・京都鉄道博物館)が開設された時、保存機に選ばれた。自力で走ることはできないが、現存している。
ただ、原作の神居古潭時代はそれほど長くはない。主な舞台は小樽の隣駅、塩谷だ。隣りと言っても7.7kmも離れた山間部の小駅である。かつての塩谷は駅長以下、何人も駅員が勤務している駅で、雄一郎の鉄道人生も、ここでの無給の駅手見習いから始まった。国鉄末期に機械化、合理化が進むまでは、塩谷に限らず、全国どこの駅でも出札係、改札係、荷物係など、多くの職員が働いていたものだ。
今の塩谷は完全な無人駅になっている。国鉄時代はこの駅を盛んに通過していた特急や急行もなくなり、短い編成のディーゼルカーが、思い出したように発着するだけ。乗り降りする人も、数えるほどだ。広い構内と長い線路、古びた跨線橋が、かつて本州と北海道を結ぶ主要幹線の駅であった名残りであるにすぎない。今の駅舎は1989年に建て替えられたものとのこと。
物語は大正14年(1925)の11月。雄一郎が両親の骨壺を抱いて、祖先の地、紀州の尾鷲へ旅立つところから始まる。そして、生涯の伴侶である有里に出会う。もう100年近くも昔の話だ。時代は大きく変わりすぎた。しかし、変わらないものも、どこかにあるはずだ。