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「鉄路の行間」No.4/大和田建樹と、2つある唱歌『汽車』の歌碑

 「今は山中、今は浜……」と移り変わる車窓を歌った唱歌『汽車』を作曲したのは、大和田愛羅。では、作詞は誰かと言えば、”不詳”とされている。

 有力な候補はいる。『鉄道唱歌』を作詞した大和田建樹だ。同姓だが、両者の間に血縁関係はない。
 大和田建樹説では、常磐線久ノ浜〜広野間の車窓を眺めて想を得たとする。確かにこの区間では、海やトンネルが次々と目まぐるしく現れ、楽しい。さらに1番の末尾の「広野原」は広い野原と広野を掛けているとする。地元の広野町はこの説に基づいて広野駅に歌碑を建て、「童謡のまち」と称しているが……

広野駅_汽車歌碑
JR常磐線広野駅の駅舎脇にある『汽車』の歌碑
広野駅トイレののれん
広野町は「童謡のまち」と称している

 異論もあり、ある書籍では、大和田建樹が常磐線の開通記念式典に訪れた1897(明治30)年には、まだ広野を含む久ノ浜〜小高間が未開業だったため、可能性はないと説く。しかし、常磐線の全線開通は1898(明治31)年だ。この時、広野駅も開業している。

広野駅舎
1898(明治31)年、常磐線の全線開通と同時に開業した広野駅

 また『鉄道唱歌』はすべて、実際に列車に乗って取材した上で、作詞されている。1900(明治33)年10月に刊行された『奥州・磐城編』では常磐線の全区間が歌われており、広野も詞に出てくる。美しい車窓を見ていないはずがない。なお『汽車』が発表されたのは、大和田建樹没後の1912(明治45)年だ。

47. 浪江なみうつ稲の穂の 長塚すぎて豊かなる 里の富岡木戸広野 広き海原みつつゆく
48. しばしばくぐるトンネルを 出てはながむる浦の波 岩には休む鴎あり 沖には渡る白帆あり
(『鉄道唱歌』奥州・磐城編より)
※長塚は、今の双葉駅

村上駅_汽車歌碑
JR羽越本線村上駅前にある『汽車』の歌碑

 『汽車』の歌碑はもう1ヵ所、羽越本線村上駅前にも建てられている。こちらは、大和田愛羅の出身地という縁。作詞者については特に触れられていない。