「鉄路の行間」No.11/西条八十の『東京行進曲』が世に広めた? 小田急の名前
『東京行進曲』と聞いて、原作の菊池寛の小説や、1929(昭和4)年公開の無声映画を思い出す人は少なかろう。興行的にはヒットしなかった映画を差し置いて、佐藤千夜子が歌った同名の主題歌の方が、今や世に知られている。
この歌の4番の歌詞に「いっそ小田急(おだきゅ)で逃げましょか」と、1927(昭和2)年に新宿〜小田原間が開業したばかりの、現在の小田急電鉄が出てくる。当時の正式社名は小田原急行電鉄。しかし、すでに「小田急」という通称が世に広まっており、作詞をした西条八十も、それを十分承知していたことがわかる。正式社名が小田急電鉄となったのは、1941(昭和16)年だ。
レコードのリリースは映画と同じ1929年だが、当時の小田急小田原線の沿線は未開発地が広がっており、まだまだ利用客も少なく、経営的には苦しかった。だからこそ「逃げましょか」というフレーズは、駆け落ちを想像させた。終点の小田原は箱根の温泉への玄関口。現在の箱根登山鉄道の前身である電車は、すでに開通しており、小田急から乗り換えて湯本などへ行くこともできた。
この歌が世に出た時、小田原急行電鉄はクレームをレコード会社に入れたという。だが大ヒットして「小田急」の名が知れ渡ると、反対に「宣伝になった」と西条八十に優待乗車証を支給したとの話が、同社の社史にも出てくる。後にイメージソングを好んで使うようになる、小田急の気質のルーツは、ここにあるのかもしれない。