「鉄路の行間」No.5/江戸川乱歩『押絵と旅する男』が描いた、親不知の夢幻
押絵の中の女性に恋い焦がれたあまり、自分も押絵の中に入ってしまった兄。その押絵を抱えて旅をする弟。この不可思議で幻惑的なストーリーが展開されるのが、夜更けの北陸線親不知付近を走る列車の二等車。
魚津へ蜃気楼を見に行った帰り道。「私」は、どこまでが夢で、どこまでがうつつかもわからない世界へと引き込まれてゆく。
江戸川乱歩の『押絵と旅する男』は、古来、多くの生死をわけた道筋で、初老の弟の口から訥々と語られる。それは甘美で、純粋で。誰しもが怖れることながらも、思わず深みへと進んでしまう出来事。
当時の北陸線は海岸線を丁寧にたどって走っていた。どこまでも広がる日本海はその日、さざなみ一つ立っていなかった。蒸気機関車が奏でる、単調な機械音だけが響いてきていた。客車の中には、押絵を持つ男と「私」の二人だけ。
兄は、馬車鉄道に乗って浅草十二階へ通い詰め、遠眼鏡を過った、艶めかしい若い女を狂おしくも探し求め、ついに見つけた押絵へと吸い込まれる。
幸せとは何なのか? 天上の世界である展望台から、この世のものとは思えない夜景を、ギシギシと車体をきしませながら走り抜ける昭和の初めの夜汽車へ。舞台は移ろいつつ、乱歩の筆は、深い想いを読む者にもたらす。
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