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「鉄路の行間」No.19/四代目柳亭痴楽の大ピンチ?! 西日暮里駅の開業

 『恋の山手線』と言えば小林旭の歌がよく知られているが、その「元ネタ」は四代目柳亭痴楽の『痴楽綴方狂室』の中の一作だ。頻繁にマクラで演じられ、代名詞の一つともなっている。

 歌の方は演芸評論家の小島貞二の作詞で、痴楽はきちんと入れていた新大久保と浜松町を飛ばしているなど、似て非なるものである。落語を元にしているからコミックソングに類されようけれど、全駅を入れなかったのは、ちょっといただけない(笑)。曲の方に引っ張られた(作曲は浜口庫之助)のかもしれないけれど。

上野駅での山手線内回り
『恋の山手線』は上野からスタート
上野駅から山手線内回り案内
内回りの方向へ、言葉遊びが進んでゆく

 この『恋の山手線』は、上野駅を起点に内回り方向へ、各駅の名を洒落として織り込んで、節をつけて語る軽妙な言葉遊びだ。ところが痴楽が活躍していた昭和40年代。1925年の御徒町から46年ぶりに、山手線に新駅が開業した。1971(昭和46)年4月20日に営業を始めた、西日暮里だ。

 2020年に高輪ゲートウェイ駅が開業するまで、山手線でいちばん新しい駅は西日暮里で、いよいよ最新の座を滑り落ちる直前には「四十八年の末っ子歴に、終止符。」とか「二番目じゃダメなんでしょうか。」などと、洒落っ気のあるポスターを掲示して話題となっている。落語に縁がある駅らしいと言えばらしい。

西日暮里駅駅名標
痴楽が人気を集めていた頃に、西日暮里駅が開業した

 柳亭痴楽にとって、西日暮里駅の開業は一大事だったに違いない。『恋の山手線』は1950年から演じている。しかも、ライバルで親友でもあった三代目三遊亭歌笑が、人気絶頂ながら不慮の事故で亡くなった跡を継いで、歌笑の持ちネタの一つを発展させた芸である。止めるわけにもいかない。

 だが、しれっとした顔をして、西日暮里を入れて改変したのだ。見事である。

 しかしそのわずか1年半後の1973年、今度は痴楽本人が大阪で倒れる。脳卒中であった。その後は長く療養を続けたが、ついには言語障害を克服することができず、事実上の引退を余儀なくされた。闘病空しく亡くなったのは、1993年10月31日であった。

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西日暮里駅開業当時の山手線はウグイス色の103系が主力 写真:永尾信幸(CC BY-SA 3.0)

 『恋の山手線』は映像も残されているが、1971年より前に演じているものは当然、西日暮里が入っていない。むしろ、織り込まれている方が晩年の高座のもので貴重な記録となる。

 1921年生まれだから、健在なら今年100歳。あり得ない話かもしれないけれど、高輪ゲートウェイ駅を入れた『恋の山手線』がもし演じられたら、きっと楽しいことだろう。

高輪ゲートウェイ駅
高輪ゲートウェイ駅が織り込まれたら、どんな芸になっただろうか?