飽き性でシャイ
小学校の高学年の時の音楽の授業で、感想文を書く授業があった。恐らくクラッシックの名曲みたいなのを聞いていたんだと思う。大体2曲聴いて、明るくて楽しい雰囲気だった。とかそういう感想を書けば良かった。
ある日私はいつもの感想文に飽きて、いつもと違う感じで書こうと思った。
1曲目の感想文は「森で少女と動物たちが遊んでいるような感じだった。」と書いた。
2曲目は「草原を駆け抜けるような爽やかな感じがした。」みたいなことを書いた。
感想文を提出した次の回の授業で、先生が「前回の感想文で良かったのを紹介します。」と言った。すごく嫌な予感がした。私のは読むなよ…という願いも虚しく、私の感想文が読み上げられた。おいおい、誰が書いたのか名前は言うなよ!と心の中で祈る。いつもはそんな読み上げるシステムなかったじゃないか!と心の中で反抗する。
名前が読まれることはなかったが、同級生が「え〜!だれ〜!」「すご!」と言っていた。私は顔が赤くなったり、反応が不自然でバレないかヒヤヒヤしていた。
私は先生を信用して、先生しか読まないと思ったからあの感想文を書くことができたのに!という気持ちだった。それからの感想文はまた、明るくて楽しい雰囲気だった。の感想文に戻った。卒業までその簡単な感想文を貫いたが、先生は何も言わなかった。私も何も言わなかった。先生は私がこんな気持ちになってたことに気づいてたんだろうか。私はずっと気まずい気持ちを抱いてました。
でも私らしさが詰まってる感じがして、今となっては面白く感じている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?