世界の武勲艦 4 戦艦「ジャン・バール」とカサブランカ沖海戦
◆戦艦「ジャン・バール」
1936年12月12日、戦艦「ジャン・バール」は起工された。建造はロアール造船所で、1940年3月6日に進水した。すなわちドイツ軍のフランス侵攻作戦開始の直前である。そして、就役は? それは後で書こう。第二次世界大戦直前の1935年度計画で建造された「リシュリュー」級の2番艦で、フランス戦艦として初めて38.1cm砲を搭載した超々弩級戦艦だった。フランス海軍の戦艦は、戦艦「ドレッドノート」と同じ弩級戦艦が、第一次世界大戦前、中に「クールベ」級と「ブルターニュ」級の7隻建造されたものの、それを上回る超弩級戦艦が建造されることはなかった。
軍縮条約時代になって建造された新型戦艦の「ダンケルク」級は、33cm砲を採用したフランス海軍として最初の超弩級戦艦であった。ドイツのポケット戦艦に対抗する目的で建造されたもので、その設計思想は装甲巡洋艦的と評される。高速、重防御で、巡洋戦艦ないし小型戦艦として優秀だった。
しかし、1935年に英独海軍協定が結ばれた結果、ドイツ海軍の戦力拡大は明らかとなり、これに対抗するため、より大型で協力な戦艦の建造が図られることとなった。こうして建造されることになったのが、「リシュリュー」級だった。1935年度計画で「リシュリュー」「ジャン・バール」が建造され、1938年度計画でさらに2隻、「クレマンソー」「ガスコーニュ」が建造されたが、戦争のため建造中止となった。
そのカタログデータ(後述するようにまさにカタログデータである)は、基準排水量35000t、常備排水量43293t、全長247.9m、幅33.0m、喫水9.6mと、ドイツの「ビスマルク」級、イギリスの「キング・ジョージ5世」級の間ぐらいだ。武装は当初は、38cm45口径砲砲を、なんと4連装砲塔にして、2基8門を搭載していた。これを船体前部にまとめて背負い式に配置していた。後ろが撃てなくなるが、これは集中防御により、装甲重量を減らすためだった。その分後方には15.2cm副砲が、3連装砲塔3基に配置されていた。
装甲防御は38.1cm砲防御として水線装甲帯330mm、前級の225mmよりも強化されている。その他、砲塔170~430mm、バーベッド405mm、甲板40~150mmの装甲が施されていた。水中防御も強力で、二重底内板と3層の縦隔壁があり、合計6層の防御が施されていた。機関は缶室分離方式となっており、機関出力は150000馬力で、最大速力30ノットを発揮できる高速戦艦となっていた。航続距離は12ノットで10000海里であった。
ただし、実は「リシュリュー」も「ジャン・バール」も、フランスの降伏までに完成することはなかった。「リシュリュー」は1940年6月15日、「ジャン・バール」は6月18日に就役したことになっているが、「リシュリュー」はほとんど完成していたが、「ジャン・バール」はその時点で主砲塔は1基のみ、それも測距儀は搭載されていない状態、副砲はなく若干の対空砲が搭載されているだけだった。缶も全部はそろっておらず、艦内の電源系統もまだ未完成だった。
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