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ソ連軽戦車発達史・外伝・コムソモーレツ その3

◆「コムソモーレツ」の派生型および発展型
 「コムソモーレツ」をベースにした派生型はそれほど多くはないが、いくつか作られている。その最大の物はなんといっても有名なのは、1941年7月I製作されたSAU ZIS-30 57mm対戦車自走砲であろう。それ以外に「コムソモーレツ」をベースにした車体として、大戦前に遠隔操縦牽引車、音響欺瞞ポストが製作されたことが知られる。これらについては、稿を改めて後述する。
 「コムソモーレツ」は牽引車であり、牽引車としての発展型についてまず触れるべきであろう。1939年にモスクワの第37工場においてG.S.スレーニャン技師の指導下で、「コムソモーレツ」をベースにした非装甲牽引車の試作モデルが製作された。本車はLT-1およびLT-2と呼ばれ、各々自動車用エンジンGAZ-M-1出力50馬力ないしGAZ-11出力76馬力を装備していた。
 これはちょっと「コムソモーレツ」の派生型と行っていいかどうかわからないが、1940年にはGAZで、今度はT-40水陸両用戦車の主要コンポーネントを流用して、非装甲牽引車の試作モデルが製作された。本車はGAZ-20ないし「コムソモーレツ-2」と呼ばれ、自動車用エンジンGAZ-M出力60馬力装備していた。
 これらのモデルは全て後部に起動輪を装備し、GAZ-MM貨物トラックのキャビンと荷台を装備していた。前にコラムで紹介した、「ヴォロシロヴェツ」のような感じだろうか。これらの車体は師団砲ないし対戦車砲の牽引が可能だった。しかし、本質的な欠陥が判明したために、ロシア軍には採用されなかったという。
 これらの車体は「コムソモーレツ」の発展型かどうかはともかくとして、時期的には「コムソモーレツ」の後を継ぐ車両だったとは言えよう(非装甲ではあるが)。しかし、これらが作られることはなく、「コムソモーレツ」は別の事情があったとはいえ、1941年7月には生産が中止されてしまった。その当然の結果として、「コムソモーレツ」の運用数は、通常の老朽化機械的損耗に加えて、戦闘による損失、部品供給やバックアップといった技術的情況により減少していった。
 1941年から43年にかけて、軍がこのような車両を喉から手が出るほど切望し続けたことは間違いない。ようやく1944年終わりになって、第40工場設計局は半装甲牽引車ATP-1の設計をまとめた。本車は種々の対戦車砲の牽引のために使用することが予定されたおり、牽引車の車体前面には自衛用の7.62mmDT機関銃を装備していた。
 ATP-1の設計案は審査の結果高く評価され、試作車体の製作が承認された。しかし、第40工場は当時非装甲の砲兵牽引車Ya-12(M-12A)の量産準備のため多忙を極めていた。このため結局ATP-1の試作車体は製作されることはなかった。

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