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補完しあう物語――徳井青空監督『時々は、眠れない夜に』

こんにちは。かみなりひめです。
政府の緊急事態宣言の延長が決まって、
外出もなかなか憚られる日が続きそうです。

そんな中、ひとつの作品が公開されました。

『時々は、眠れない夜に』

この映画の概要を以下に述べます。

短編映画「時々は、眠れない夜に」は、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントが運営する小説・イラスト投稿サイト「monogatary.com」にて昨年実施したコンテスト「モノコン2019」内「徳井青空賞」に設定されたお題「決戦前夜の眠れないJK」に投稿された100を超える小説の中から、徳井監督自身が選定した大賞作品「時々は、眠れない夜に」(著・葉一朗)を原作とした映像作品です。

監督がまさかの、
ラブライブ!矢澤にこ役などで知られる
声優・漫画家の徳井青空さん。

キャストには、
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
中須かすみ役を演じる相良茉優さんの名前も。

そんな相良さんのつぶやきがこちら。

こちら原作もとても素敵!
原作、映画両方とも見ていただけるとより作品への理解が深まります!

実は、同じような話を
monogatary.com公式Twitterでも
していたのだから驚きでした。

原作を読むとまた感じ方が変わってくる作品になっています!
どちらも短めな作品なので、映画と原作を行き来して、何度も楽しんでいただけたらとても嬉しいです!

こぞって、原作と映画との往還を推奨。
何か理由があるのでは……?」と感じたワタクシ。

さっそく、両方を見てみることにしました。

その結果。
確信しました。

両方見た方が絶対にいい!!!

その理由を、順に述べていきたいと思います。

※ここからネタバレしかありません※
※まだご覧になっていない方、以下からどうぞ※

1.視点人物の相違


葉一朗原作の小説の視点人物(=語り手)は
お父さんになっていることが分かります。

が妻と別れることになったのは、夏美が高校1年生になった春の事だった。

このような記述ゆえに、原作小説で物語を語るのは
お父さんの役割であることがうかがえます。

一方で、徳井監督映画での視点人物(=語り手)は
物語当初は三人称視点で語り出していきます。

夏美が部屋に戻り、「最後の勉強してから寝る」と宣言した後、夏美視点の物語へと変化していきます。
せっちゃんとの別れは、夏美視点で語られるのです。

今日みたいな大粒の雨の日。せっちゃんは交通事故で死んだ。

この語りを契機にして、視点が夏美へと変化します。
ここまでのせっちゃんとの思い出を、
せっちゃんとの思い出の動画によって語らせていき、
動画撮影時の回想へと引き込んだ、というのが
映画版の妙であると言えるでしょう。

2.語られるモノ/語られないモノ


葉一朗原作の小説
は、以下のような構成を取ります。

① お父さんが観ている野球の試合
妻との離婚
③ お父さんが観ている野球の試合
夏美とせっちゃんとの思い出
⑤ お父さんが観ている野球の試合
せっちゃんの事故と父娘の交流
⑦ お父さんが観ている野球の試合
⑧ 眠れない夏美、ソファーで二人

太くした部分が、回想の部分です。
夏美の受験前夜に観ていた野球の試合と、
娘の受験とを重ね合わせているお父さん、という
姿が見えてくるようになっています。

ここで、回想の部分を観てみると、
妻(夏美の母)との思い出よりも、
夏美とせっちゃんとの交流のほうが
多くの文量を割かれています。

つまり、
小説では、妻(夏美の母)との思い出よりも、
夏美の、せっちゃんとの出会いと別れ
力点が置かれているのです。

一方、映画の方はどうでしょうか。

せっちゃんが交通事故で死んだことへの言及は
先述した夏美の語りから始まります。

しかし、
その時の夏美の様子父との交流は一切描かれず。

その一方で、妻(夏美の母)を思い出すような描写
物語前半部で登場します。

ショウガ焼きにマヨネーズを掛けるのを制せられた
夏美が放った一言。

「でも、お母さんは好きって言ってたよ」

さらに、残り少ないマヨネーズの容器から、
効率的にマヨネーズを絞り出す裏技を
どこで知った? とお父さんに尋ねられると、

「昔、テレビでやってた、って言ってた

ここでは主語は明確にされませんが、
すぐに夏美が話題をトマトに転換する点から、
ストレートに父に言うのが憚られる人物
つまり、別れた妻(夏美の母)と推測できます。

さらに、夏美のもとに「お母さん」から
メッセージが届くシーンもありました。

明日受験頑張ってね。
お父さん、緊張して今夜はいつもよりお喋りだったんじゃない?
夏美ならきっと大丈夫だからね。

ここまで見てくると明らかなように、
映画は「お父さん」「お母さん」「夏美」の
三人の物語になっているのです。

せっちゃん」の存在は、小説ほど目立ちません。

3.なぜ両方見る必要があるのか?


ここまでお読みいただければ分かるとおり、
原作の小説と、徳井監督の映画とでは、
物語の視点語られるモノ異なります。

しかし、だからといって
全く別の物語を語っているわけではありません。
物語のストーリー自体は、同一のものです。

同じひとつの物語を、
夏美」「お父さん」という
別の人物の視点から語り直したもの。

あるいは、同じひとつの物語を、
友人との別れ」「家族との別れ」という
別のテーマでもって語り直したもの。

小説と映画との違いは、このようにまとめられます。

小説と映画とを両方見ることによって、
一方の物語が、もう一方を補い合うように
構成されていることに気付くのです。

その意味で『時々は、眠れない夜に』という作品は
”補完しあう物語” であるのです。

この物語、見れば見るほどに
その深さに気付ける作品であるといえます。

この期間中に、家族・友人との
あたたかい繋がり
を思い出すことができる。
そんな作品だったのでした。

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(相良茉優のJK姿が見たい方にもオススメ)

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