とめどなく溢れる子どもの「欲望」――水樹奈々「絶対的幸福論」
こんにちは。かみなりひめです。
まずはこちらをご覧ください。
「MUSIC FAIR」の2800回記念コンサートの模様が放映されるとのことですが、「絶対的幸福論」の名がそこにはありました。
せっかくなので、MVも併せてどうぞ。
この「絶対的幸福論」は、前回のnoteで紹介した水樹奈々さんの「新第三紀」の幕開けであるアルバム『NEOGENE CREATION』に収録されております。
しかも、MVが制作されたということは、そのアルバムの中でも特に推したい楽曲だと言えます。
今回も、前回と同様に
「絶対的幸福論」を紐解くことで、
水樹奈々「新第三紀」の戦略を考えます
さて、「絶対的幸福論」について、水樹奈々さんご本人は以下のように述べておられます。
私も聴いた瞬間ほろりとなって、絶対に歌いたいと思いました。それ以来、この曲が忘れられなくなってしまったんです(笑)。プロポーズの歌なのですが、私と一緒に年齢を重ねたファンの方から最近“結婚しました”と報告をいただくことが多くて。“結婚式で奈々ちゃんの曲をかけました”というメッセージもたくさんいただいたり。そのせいもあってか、この曲には強く惹かれました。今までの私のバラードと言うと、切ない失恋ソングが多いのですが…私自身もそろそろ幸せになってもいいかもしれないと、曲に言ってもらっているのかな?という気持ちにもなりました(笑)・・・男性目線ですが、それを受け止める女性の気持ちも合わせて歌うことで、より奥行きが出るのではと思いました。
「受け止める女性の気持ちも合わせて歌う」という点に、まずは着目したいと思います。
このような女性の気持ちを歌っている箇所を探すと、およそこの象徴的な歌詞に行き当たるでしょう。
幸せになりたい
幸せにしてあげたい
君のそばにいたい
僕のそばにいて欲しい
およそ、「幸せになりたい」「君のそばにいたい」が女性目線で、「幸せにしてあげたい」「僕のそばにいて欲しい」が男性目線だと解したのでしょう。
これ、本当でしょうか?
同じような掛け合い調の歌詞は、他にも見えます。
かっこよくなりたい
やさしくなりたい
ずっとそばにいたい
死ぬまでそばにいて欲しい
この部分だと、「かっこよくなりたい」「ずっとそばにいたい」が男性目線、「やさしくなりたい」「死ぬまでそばにいて欲しい」が女性目線になるのでしょう。
しかし、私はこう思います。
「かっこよく」が男性目線、「やさしく」が女性目線
というのは、ジェンダーバイアスではないか?と。
実際、結婚式場などを運営しているアニヴェルセル株式会社の調査を見てもらいましょう。
この調査では、全国の23歳~39歳の男女600名(未婚男性・女性各300名)の方を対象に、「結婚したい男性/女性」と「付き合いたい男性/女性」についてのアンケートを行っています。
まず、男性が結婚・恋愛対象の女性に求める要素のうち、「優しさ」は結婚・恋愛ともに第二位。
結婚対象の場合は31.3%、恋愛対象の場合は30.0%の男性が「優しさ」を相手に求めています。
しかし、女性の場合も、男性に「優しさ」を求めています。
結婚対象の場合は52.7%、恋愛対象の場合は46.0%の女性が、男性に「優しさ」を求めています。
ということは、「やさしくなりたい」は男女共通で抱く願望なのであり、必ずしも女性目線の歌詞として読む必要もありません。
これを全体に広げて言えば、すべて男性目線からの歌詞として読むことに何ら違和感はないのです。
(当然、男女の掛け合いとしても読めますが。)
「絶対的幸福論」は
男性目線(一人称)で描かれた歌である
さて、そのようにして「絶対的幸福論」を眺めると、
ある言葉が頻発していることに気付きます。
・願望の助動詞「たい」
・補助形容詞「欲しい」
願望に関わる表現が多いのです。
中学校以来に「文節」という概念を使ってみると、
「絶対的幸福論」は、全部で134の文節があります。
そのうち「たい」は21の文節に見られます。男性目線の歌であると考えると、歌詞の約15%が男性(=「僕」)の願望を歌っていることになります。
この助動詞「たい」で表現される「僕」の願望は、
大きく三つに分類することができます。
①「僕」と「君」の幸福
②「君」と一緒にいたい
③「僕」の容姿や性格の改善
また、補助形容詞「欲しい」は5つの文節に登場しますが、これらはすべて②の願望に対応するものとして表れてきます。
さて、残酷な話です。
願望とは、現在はそうでないからこそ
存在しうるモノなのです
たとえば、「何か食べたいなあ」という食欲は、空腹が満たされていないがゆえに生じるモノです。
「課金するお金が欲しいなあ」というのも、現在自分には課金に回せるお金がないからこそのモノです。
先ほど挙げた歌詞を読み返してみましょう。
かっこよくなりたい
やさしくなりたい
ずっとそばにいたい
死ぬまでそばにいて欲しい
これがすべて男性(=「僕」)の願望だとすると、
「僕」はかっこよくもなければ、優しくもないということに気付いてしまいます。
「ずっとそばに」いるような関係でもないのです。
この「僕」の人物像を、もっと探りましょう。
好みが合わないことだって多くて
つまらない理由で喧嘩ばかりした
でも、どんな時も僕を支えてくれた
君がいるから僕は強くなれた
「僕」と「君」の好みは合わず、
些細なことで喧嘩ばかり。
バンドだったら解散してるレベルです。
大したものは
買ってあげられないけれど
毎日笑わせてあげるからさ
怒られてばっかりの僕だけれども
いつまでも僕を叱って欲しい
「僕」には経済力もなく、怒られているのは「僕」。
それでも、そんな「僕」を支えてくれるのは「君」。
しかも、「いつまでも僕を叱って欲しい」ということは、「君」に依存する気マンマンな「僕」の姿が見えてきます。
そして、依存の対価は「笑わせてあげる」ときた。
思い出してください。
水樹奈々さんはこの曲について何と述べていたか。
私も聴いた瞬間ほろりとなって、絶対に歌いたいと思いました。それ以来、この曲が忘れられなくなってしまったんです(笑)。プロポーズの歌なのですが、私と一緒に年齢を重ねたファンの方から最近“結婚しました”と報告をいただくことが多くて。“結婚式で奈々ちゃんの曲をかけました”というメッセージもたくさんいただいたり。そのせいもあってか、この曲には強く惹かれました。
世の女性の皆さんに質問です。
・経済力ナシ
・価値観の相違だらけ
・自分が相手に怒ることばかり
・かっこよくない
・やさしくない
・相手は自分に依存する気しかない
・でも笑わせてくれる
こんな男性に
「プロポーズ」されたいですか?
その「プロポーズ」、受けますか?
ここで、いったん「結婚」について考えましょう。
明治時代以降の日本社会では、国民を統一的に把握するため、戸籍の整備に努めてきました。
戸籍の主たる目的として、谷口知平『法律学全集25 戸籍法』では「警察、軍備、財政、刑事行政」が挙げられています。
結婚し、新たな戸籍を作るということは、その戸籍=家族を単位として税金の徴収などが行われるということを同時に意味しているのです。
経済力のない「僕」は、壮大にもこのようなことを歌い上げていました。
しわくちゃになっても君のこと
守りぬくと誓うよ
「しわくちゃになっても」とは、年老いても=ずっとというニュアンスが含まれているのでしょう。
「僕」はどうやって「君」を守り抜くのでしょう?
自分の「好き」という感情のままに、現実からかけ離れた誓約をしてしまう「僕」のような人は、世間ではこのように言われるのでしょう。
「僕」は幼稚だね、
現実を見ようね、と。
これを加速させたのが、作詞者のヨシダタクミさんによるセルフカヴァー版「絶対的幸福論」です。
実は、水樹奈々版「絶対的幸福論」とは一部で歌詞が異なる箇所があるのです。
だから
かっこ悪くてもいい
お金持ちじゃなくていい
誰に笑われても
いつまでも君のそばにいたいよ
「かっこよくなりたい」が「かっこ悪くてもいい」
「やさしくなりたい」が「お金持ちじゃなくていい」
「ずっとそばにいたい」が「誰に笑われても」に
それぞれ変更されています。
「僕」は、現実を変えるための
苦労すらも放棄したのです。
作詞したヨシダさん自身の手によって、「僕」の子供っぽさはハッキリと証明されたと言っても過言ではありません。
さて、このような子供っぽさについて、水樹奈々さんはどう思っているのでしょうか。
──ヨシダさんの楽曲は、今までの水樹サウンドになかった少年っぽさというか、やんちゃな感じがあって。
まさにそこに胸を撃ち抜かれました。「レイジーシンドローム」(2015年4月発売の32ndシングル「Angel Blossom」カップリング曲。ヨシダが作詞作曲を担当)で出会ったんですけど、彼の描き出す世界観は新鮮ながら、どこかチーム水樹の世界と通じる部分があるんです。彼はいつも詞先で曲を作るそうで、不思議な曲構成になるのはそのせいらしいんです。歌詞の内容から、たくさん本を読まれる方なのかなと思っていたんですけど、マンガが大好きで、ヒントになるものは全部マンガなんですって。
「少年っぽさ」「やんちゃ」。
裏を返せば、「子供っぽさ」「幼稚さ」。
これらは、表裏一体の関係にあるでしょう。
しかも、それがチーム水樹の世界に通じている。
ここから言えることはただ一つ。
水樹奈々「新第三紀」の戦略とは
「子供っぽさ」にあるのです
そういえば、「エデン」もそうでしたよね?
詳しくは前回のnoteをお読みいただきたいのですが、「エデン」は思春期の青い恋愛を、言葉や演出で様々にぼかしていました。
それが、「絶対的幸福論」では、その「青さ」をハッキリと描いているのです。着実に、「子供っぽさ」が露骨になってきている。
このことと、ヨシダタクミさんの楽曲制作が増えているのは、決して無関係ではないでしょう。
2021年で終わる「新第三紀」
どこまで水樹奈々は
「子供っぽさ」を見せるのか?
そんな視点で、『CANNONBALL RUNNING』を聴いてみるのも面白いのかもしれませんね。