しず子よ、「本当の私」を見せるな。
こんにちは。かみなりひめです。
Prima Portaの1st LIVEから一週間。
ということは、アニガサキの日です。
アニメ
ラブライブ!
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
(通称:アニガサキ)
第8話「しずく、モノクローム」
(まだの方はこちらからどうぞ)
簡単にアニガサキ第8話をまとめると、
「自己をさらけ出す」ことができなかった
桜坂しずくが、1年生組の助けを借りて
その一歩を踏み出す、という話。
しかし、しず子よ。
私はこれだけは申し上げておきたい。
「本当の私」を見せてはいけません。
そんなもの、どこにもないのだから。
1. ”桜坂しずく” という人物
今回の主人公・桜坂しずくのカギになるのは
「演じる」という語です。
「あなたの理想のヒロイン」を演じる、と
歌い上げる1stシングル。
オードリー・ヘップバーンという
自分の理想に近づくのだと宣言する
2ndシングル。
第8話の冒頭でも、しず子本人が
このように取材に答えていました。
しずく「私は、愛されるスクールアイドルを演じたいと思っています」
記者「と、言いますと?」
しずく「皆さんにとって理想のアイドルを想像して、その子になりきるんです。」
記者「では、今この瞬間も、桜坂さんは理想のスクールアイドルを演じている、ということですか?」
しずく「はい。」
スクスタ時空でも、アニガサキでも、
桜坂しずくとは「演じる」キャラなのです。
しかし、このアニガサキ第8話では、
それでは立ち行かなくなってしまうのです。
藤黄学園演劇部との合同演劇祭において
虹ヶ咲学園の演目で主役を務めることになった
しずくでしたが、部長から申し渡されたのは
まさかの「降板」でした。
部長「今回の役は、しずくとはちょっと違ったみたいだから」
しずく「ダメなところがあれば言ってください。私、頑張りますから。」
部長「この役は、自分をさらけ出す感じで演じてほしかったの」
しずく「さらけ出す……?」
部長「役柄も歌手って設定だし、スクールアイドルのしずくなら適任かなって思ったんだけど。」
部長の言を借りるなら、しずくは
「自分をさらけ出す感じ」が足りずに
降板という結論に達したのでした。
同好会のメンバーにも言い出せずに、
人知れず「自分をさらけ出す」ことに
懊悩するしずく。
(ここでもやはり、自分をさらけ出すことが
できていなかったのでした)
いつもしずくのそばにいた中須かすみ。
同じような悩みを抱えていた天王寺璃奈。
そう、1年生組でした。
りな子がかすみんをけしかけ、
かすみんがしず子を必死に励まし、
しずくは再び主演として舞台に咲くのでした。
(この辺りは本編をぜひどうぞ)
そして、ED前の最後のシーンにて、
再び取材を受けているしず子。
記者「役者、スクールアイドルとして、何かメッセージはありますか?」
しずく「”本当の私”を、見てください!」
この言葉と満面の笑顔で、
第8話は無事に終幕。
「本当の私」を、他者に見せられるように
なったしず子の姿がそこにはあったのでした。
2. ”本当の自分” とは何か?
そもそも、人間は「私」という存在を
どのようにして認識するのでしょう?
ものすごく端的に言えば、
「私」って何? ということです。
かの哲学者・ルネ=デカルトには
「Cogito ergo sum」という名言があります。
日本語では「我思う、ゆえに我あり」ですね。
これはつまり、
「自己の思考だけが、”私” なのだ」
ということを意味します。
(この発想があった故に、臓器移植などの
近代医学や科学が発展したのは、別の話)
そして、この「思考」には
「言葉」が密接な存在としてあります。
具体的に言えば、
”私” と ”私以外”(他者)とは、
「言葉」によって区別されるのです。
たとえば、「ママ」「マンマ」などの
言葉を最初に覚えていく赤ん坊は、
「ママ」でも「マンマ」でもないものとして
”私” を認識してゆきます。
人間は、成長の過程の中でさまざまな
「言葉」を獲得していきます。
それらの「言葉」で表されているものと
区別されたもの(=異なるもの)こそが、
”私” なのです。
いわば、”私” とは、”私以外” を排除した
その先にしか存在しない、空っぽなものです。
その意味で、「本当の私」というのは
どこにも存在していないのです。
そのような状態で、どこかに「本当の私」を
求めてしまうと、その精神的支柱が失われたときに
すぐさま病んでしまいます。
「彼といるときが本当の私」
「勉強している時だけが本当の自分でいられる」
こんな人、周りにいませんか?
でも、この場合においては
「彼」や「勉強」が失われてしまったら、
何を精神的な支えにするのでしょう?
「本当の私」を持ってしまうことは、
アイデンティティの崩壊を招きかねません。
しずく「私、それでも歌いたいよ。ずっとあなたから目を逸らしていた。でも、”歌いたい”。その気持ちだけはきっと真実。今まで、ごめんなさい。これが私。逃れようのない、本当の私。嫌われるかもしれない。でも、好きだって言ってくれる人もいた。だから、この小さなステージで、もう一度始めよう。」
影しずくと舞台上で対面したしず子。
しかし、これは大変危険な行為なのでした。
3. 「さらけ出す」ことを怖がるしず子
ここまで、”私” というものが
どのように形成されるのかを確認しました。
簡潔にまとめれば、
”私” は ”私以外” ではないものとして立ち現れる
ものでした。
話を第8話のしず子に戻しましょう。
彼女の心の葛藤は、影しずくとの舞台での
対決、という形で現れます。
影しずく「私の歌は誰にも届かない。子供の頃のこと、覚えてる? みんなと少し違う。ただそれだけのことだったけど、私はいつも不安だった。『誰かに変な子って思われたら?』『嫌われたらどうしよう?』。いつもそんな風に怯えていた。だから、本当の自分を隠すようになった。そしたら、すごく楽になれた。あの日からずっと、私は嘘の私のまま。自分を偽っている人の歌が、誰かの心に届くわけがない。そうでしょう?」
影しずくからそう聞かされると、
膝から崩れ落ちるしず子。
でも、本当にそうなのでしょうか?
ここまで話してきた ”私” の形成過程から考えれば、
「本当の私」をさらけ出さないことは、
自己防衛に繋がっているのではないでしょうか?
であるからこそ、しず子は
「演じる」ことで「楽になれた」のです。
そして、そもそも「アイドル」とは、
「本当の自分」を隠し、「演じる」ことで
成立するものなのではないでしょうか?
たとえば、AKBグレープの柏木由紀さんは
「アイドル」であることにとても自覚的です。
fantologyのインタビューにて、
「理想のアイドルの条件」を聞かれた
柏木さんは、こう答えています。
「自分の見せ方がわかっている」というのもあると思います。みんな若い年齢でアイドルになるじゃないですか。最初はその若さと素のかわいさでやっていけると思うんです。でも長く続けるには、人と違う見せ方とか表情とか踊り方を見つけないといけない。
そういう中で「自分はこれが一番輝ける」っていうスタイルみたいなものをたくさん見つけた人が残るなって感じます。いろんなものに染まれる人が結構強いなって。そういう部分を持つことも条件かもしれません。
周囲の理想とする「アイドル」像を発見し、
それに染まっていく(=演じる)ことが、
「アイドル」の条件のひとつ。
しず子の今までのスタイルは、
何ら問題ないものであると思われます。
しずく「私……、やっぱり自分をさらけ出せない!それが役者にもスクールアイドルにも必要なら、私は、どっちにもなれないよ! 表現なんてできない。嫌われるのは、怖いよ……。」
かすみ「なに、甘っちょろいこと言ってんだぁー!」
かすみんは、「嫌われるのが怖い」というしず子へ
一喝(デコピン)していきました。
むしろ、私はこう言いたいのです。
「自分をさらけ出すこと」は、
アイドルにとって必要じゃないよ、と。
だから、しず子。お願いだから、
「本当の私」なんて、言わないでほしい。
演劇系スクールアイドル・桜坂しずくとして
これからも「演じて」生きていってほしい。
それを伝えたいよ。
君へと伝えたいんだ。
4. おわりに
みんなで行こうな……!
0勝5敗のかすみんもおススメだぞ♡
そして第8話の中須かすみですが、
先ほどの説教には続きがあり ます。
かすみ「嫌われるかもしれないからなんだ!かすみんだってこーーーーーんなに可愛いのに、褒めてくれない人がたくさんいるんだよ! しず子だって、かすみんのこと ”可愛い” って言ってくれたことないよね? しず子はどう思ってるの?」
しずく「えっと……」
かすみ「可愛い? 可愛くない?」
しずく「か……可愛いんじゃないかな?」
かすみ「ほら、言ってくれたじゃん。しず子も出してみなよ。意外と頑固なところも、意地っ張りなところも、本当は自信がないところも、全部!」
しずく「それ、褒めてない……。」
かすみ「もしかしたら、しず子のこと好きじゃないって言う人もいるかもしれないけど、私は桜坂しずくのこと、大好きだから! だから、心配しなくても……。」
中須かすみは、桜坂しずくの
「無敵級*ビリーバー」なのでした。
この世界中でたった一人だけの私を
もっと好きになってあげたい
この世界中の全員がNoだって言ったって
私は私を信じていたい
この歌詞が刺さる第8話でした。
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