わたしが場面緘黙症だったころ


「場面緘黙症」という言葉をを知っているだろうか。

私がその言葉を知ったのは、20歳くらいの時だった。そして、その言葉を知ってかなり救われた。

私はおそらく、場面緘黙症だった。小学生の頃、学校で話すことが出来なかったのだ。ただ、学校にいる全ての時間、話せなかった訳ではない。授業中に指名されての発表や、学芸会での台詞はいうことが出来たし、先生とも会話することが出来た。しかし、クラスメイトとは話すことが出来なかったのである。言葉の代わりに、首を縦横に振って「イエス」「ノー」を表現したり、言いたいことを紙に書いたりしてコミュニケーションをとっていた。

身体的機能に問題があって話せない訳でもないし、話すことが嫌で口を閉じている訳でもない。本当は話したいし、言いたいことがあるのに、どうしても話せないのだ。学年が上がるにつれて、”私は「話さない人間」だから今更言葉を発したら変だ”という恐怖も募っていき、症状は深刻になっていった。当時、私が通っていたのは田舎の小学校で、20人弱の同じメンバーで6年間を過ごす。その閉塞的な環境も影響していたかもしれない。

小学校生活も終わりに近づいた頃、私はある決意を固めた。それは、中学校では”「話す人間」になる”ということだ。「話さない人間」から「話す人間」になるには、環境や人間関係が変化するこのタイミングしかないと思った。環境が変わるといっても、近隣の三校の児童がそのまま集まる中学校だったため、6年間一緒に過ごしたクラスメイトも一緒に入学する。そのことに多少不安もあったが、入学式当日、私は口から言葉を発することが出来た。「話す人間」になれたのだ。

つづく(かも)