私が、「やればできる子」であることを人に知らせるために〜

大体のことは3ヶ月も集中してやれば、周りの人より上手くこなすことができた。今までの経験上。

基本が怠惰にできていて、滅多にやらないものだから、たまにやるとすぐに結果が出る。しかも、3ヶ月もやれば誰にも負けない、経験上。

なにも、周りに優秀な人材がいなかったわけではない。それでも、得意なことで勝負すれば負けなかった、3ヶ月もやれば。

いわゆる、やればできる子である。

物事の捉え方が本質的で、その分、最初の最初は少し不器用な感じになるのだが、大体3ヶ月経てば同じ環境で競う人には負けない。

時間が経つほど、周囲との理解の差は開き、基礎は固まり、高度な応用を自ら生み出すことができる。

そう。私はやればできる子。

私には、自分が、何か1つのことに真剣に取り組めば、必ず結果が出ることが分かっている。そう、経験上。

これは、傲慢さから来るものではない。事実に基づく確信である。

私は、やればできる子なのだ。

ただ、その事実を知っているのは私だけだから、周囲にそれを知らせること、信じさせることが困難だ。

私がやればできる子であることは、今まで何度も実証してきたし、歴史に刻まれた事実である。だが、筆記者がいない。

私は、知られざる「やればできる子」なのだ。

私と私以外のやればできる子との違いについて

私は、その辺の「自称やればできる子」とは違う。

ほとんどの自称やればできる子は、自己評価のためのデータを誠実に集めない。比較対象になる他人への評価がおざなりである。

その点で、私は、私以外の自称やればできる子とは違う。

私は、真にやればできる子なのだ。

また、やればできるの、「やれば」と「できる」について、ほとんどの自称やればできる子は、制限を設けない。

まるで、「やれば」宇宙を創造することだって「できる」と思っているのではないかと訝りたくなる。

私は違う。

私の「やれば」には、期間と範囲が設定されるし、取り組むことによっては、「できない」と判断することもできる。

どれくらい「やれば」、これくらいは「できる」だろうという、概算をかなり正確に見積もることができる。

それについては、私は長らく検証してきた実績がある。その研究の結果を示すことができないのが残念だ。

それを、示すことができれば、あなたは私のことを信じることができるし、信じたからには、私という逸材を手に入れることができ、双方にとって良い結果が生まれる。

だが、それを知っているのは私だけだから、契約は締結しない。

信じてほしい。

私は、やればできる子なのだ、本当に。

私は真のやればできる子なのだ

どれだけ、「やればできる」と口で言っても、意味がないから、「やってできる」ようになるまで黙っていることができるくらいに、私はやればできる子なのだ。

自分が、やればできる子であることに絶対的な自信を持ち、それでいて、やらねば分からぬだろうと、黙ってできるまでやる子なのだ、私は。

こんなに、謙虚で、なおかつ、やればできる度合いを正確に見積もる「やればできる子」が今までいただろうか。

私は、やればできる子の中でも、異質な存在であると同時に、真にやればできる子なのである。

そして、やればできる子全ての共通点、「やらない」というチャーミングさ、これも私は持っている。

私は、真にやればできる子でありながら、しかも『かわゆい』のである。

また、この1点のみにおいて、私は、私以外のやればできる子の中に埋没し、人に見つけられない。

他人の目からすれば、多くの「やればできる子」と一緒くたになる。

だから、結局、私はやるしかないのである。(やればできるから)

そして、「やってできた子」になってからの私しか人は知らないから、私が、類い稀なる真の「やればできる子」であることを人は知らない。

私が、やってできるようになるその日まで、私は『無』である。

これは、悲しいことであるし、世の不条理が成す罪である。

何度も言うが、残さず言うが、私は、やればできる子なのである。

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独居房で物書き志望
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