無意味さの上に意味を乗せる生活

カラスの鳴き声と部屋の薄暗さがある。それ以外がない。そんなことは、あるはずがないから自分がおかしいのだと気づく。

気づいたところで、やはりカラスは鳴いているし、部屋は薄暗い。

それで別に困ることもない。だから、そのままにしておいてもいい。だけど、次にすることを見つけるために、やる。

カラスの方はどうしようなもないから放っておく。部屋は明かりを点ければいい。

それで、やることは無くなった。だから、次にやることを探す。

カラスの鳴き声だけがあり、あとは空のコーヒーカップがある。机の上にある。

机の上には他のものがあるが、今のところ空のコーヒーカップしかない。「そんなわけはない」ということくらいは分かるくらいにマトモになっている。

コーヒーを淹れることにする。

カラスの鳴き声が無くなった。今はコーヒーを淹れている。次には、きっと飲むのだけれど、それ以外がなにもない。

外は暗くなったし、部屋は明るくなった。空のコーヒーカップは無くなったが、淹れたてのコーヒーがある。

明日はなにもないし、明日になるまでなにもない。

しかし眠るまでには、まだ時間があるし、それまでに風呂と飯をやらなければいけない。

習慣というものだけが残り、それは意識の中を泳いでいるのだが、時間の流れに価値がないから、意味が薄い。

意味が薄いことに、意識を向けることはしたくない。

無意味さの上に意味が乗っている生活をしているから、意味を求める無意味さだけが残っていて、最近は生きづらい。

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独居房で物書き志望
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