【本題】プロレスとセックスの違いはなんですか?| 議論と対話を比較する
【議論】と【対話】。
この2つは「双方が異なる意見を持ち言葉によって交換する」という共通点を持ちつつ、ニュアンスはかなり異なっている。
それはわたしにとって、
プロレスとセックスぐらい違うものだ……
議論=プロレスで、対話=セックスね。
いやこれ一生懸命考えた比喩だけど伝わる?
大丈夫?進めていい?続けるね?
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【議論】という言葉には、プロレスや相撲と同じ擬似闘争の概念が含まれている---対立、勝敗、ゼロサム・ゲームの性質が。
誰かを言い負かすことを“論破”と呼びある種の憧れすら抱く人がいるのは、それが「ゲームクリア!YOU WIN」を連想させ、
これは主に男性…もしくは好戦的な女性にとっては何よりの報酬となるからだ。たぶん。
もちろんそれ自体は悪いことじゃない、擬似闘争でこそ輝ける人もいる。
本物の“タマの奪い合い”じゃないだけ平和といえばそうだし、そんなつもりで議論してるわけじゃない、という穏健派もいるだろう。
でも、あなたが自覚しようとすまいと「これは議論である」と自認している時点で客観的には戦闘狂と混同されても仕方がない状況だ。
議論とは「そういうもの」だから。
一方、
【対話】という言葉に勝敗のニュアンスは含まれない。
いちおう対立構造ではあるけれども、対戦よりむしろ差異の確認や共同作業に近く、新しいアイデアが生まれて双方が得することはあっても勝者や敗者はいない---
これはプラスサム・ゲームの性質だ。
勝敗はなく、かつ双方にリワードがあるゲーム。
超わかりやすく言えば、
「愛のあるセックスで待ち望んでいた子供ができた」みたいな状況です
(すいません結構強引なので意味が気になる人はちゃんとググってください)。
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対戦にはパワーバランスの縛りがある。
体重別階級が設けられているのは人体にはある程度どうしようもない体格差や重量差があり、そのハンデを埋めるためだ。
あとシンプルに拮抗した方が白熱するし勝利の価値も上がる…とかもあるのかもしれないが。
議論でいえば、
どちらの意見にもそれなりの強度が認められて初めて同じ土俵に上がることができる---しかし、誰もがそこまで理論武装が上手いわけではない。
でも共同作業では「どれだけお互いの凹凸が噛み合うか」が鍵で、パワーは数ある要素の一つでしかないし、ある程度擦り合わせることもできる。
いや下ネタじゃないです、
いや下ネタでも間違ってないか、、
つまり対話でいえば、
片方の意見が著しく脆いとしても、その立場の曖昧さや反論を警戒しない粗さ---意見の“穴”へもう片方をハメて補強することで、思いがけず全く新しい“第三の意見”が生まれたりする。
いや下ネタじゃないです、!!
いや下ネタでも間違ってないか、、!!
……それは「新しいアイデア」というかわいいかわいい赤ん坊、
親や周囲を笑顔にし、感心させ、周囲の応援を受けながら大きく成長してくれる---してほしい、と思わせるアイデアになるだろう。
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…と、
ニュアンスの違いを出すために強めにバイアスかけて説明してみたが、実際はこんなに綺麗に分かれているわけじゃないと思う。
「議論にはディベートとディスカッションがあって、自分がやりたいのはディスカッションなのに相手が勝手にディベートだと誤解してるんです!」とか、
「議論に信頼がないみたいに言うなよ、信頼があるからこそ激論を交わせるんだろ」とか、
「緊急の問題解決に対話なんてしてたら間に合わないだろ」とか、
「セックスはプロレスだろ」とか、
「プロレスはセックスだろ」とか、
いろんな異論があるはずだ。
あっていい。あってほしいし、聞かせてほしい。
あわよくば優しめに。
わたしは……
「議論は暴力的だ」「対話の方が優れている」なんてつまらない二項対立を説きたいわけじゃない。
議論だろうが対話だろうが、
双方合意の上で、プレッシャーなく(あるいは程よいプレッシャーのなかで)バランスの良い意思疎通ができているなら、それでほんと、なんの問題もないからだ。
でも議論と対話をしっかり区別して、相手がどちらを望んでいるかまで見極めてより多くの人とコミュニケーションが取れる人になれるなら、
それこそがガチ最強だよね、
と言いたいのだった。
読んでくれてありがとね。
おわり。
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