どうする札幌 2030年の心配
2021年の東京オリンピックが閉幕した。
早速、2030年のことが心配になる。
数年前から、札幌市が2030年冬季オリンピック大会の招致に向けて動いている。
1972年大会が懐かしい人たちのノリで軽い気持ちで手を挙げると、本当に札幌に決まってしまいそう。
よほどの覚悟と、理想と、コンセプトを貫徹する意志がないと東京の二の舞になる。
つまり、選手の活躍は素晴らしかったし楽しかったけど問題・借金積み残しだらけに。
何しろ、2030年冬季五輪を札幌に誘致しようとする一部の動きは、どうにも1972年のノスタルジーにすがっているように見える。
一昨年、地下鉄の駅には「虹と雪のバラード」の到着メロディーが流れるようになった。
地下歩行空間にもカバーソングが流れている。
名曲だし僕も好きだけど、あの曲で冬季オリンピックのポジティブな光景を連想するのはリアルタイムで体験した50代以上の世代。
これでは、東京大会を招致した時のように、
「一部の(属性的に偏った)人たちだけが盛り上がって」
「一部の(属性的に偏った)人たちだけで意思決定して」
「時代遅れの手法や倫理や感性を露呈してしまう」
失敗の繰り返しになってしまわないか。
このままゴリ押しして良いのか。
僕は札幌でオリンピックやると楽しそうだな、とほんの少しだけ期待してるけど、
東京大会で露呈した日本・東京の構造的問題を改めずに同じことを繰り返すとしたらあまりにも見苦しい。
札幌は、東京とは違う形でやれるポテンシャルはあると思う。
けど、同じ落とし穴にハマる可能性もある。
「虹と雪のバラード」は素晴らしい名曲だけど、オリンピックをきっかけに「美しい街」を建設するのは1972年の札幌にこそふさわしかった。
あの時の「美しい街」は今の札幌そのものだ。
地下鉄南北線、さっぽろ地下街、大通にある馴染みの商業施設群。そしてもちろん、大倉山や真駒内も。みな1972年のオリンピックの時に形作られた。
偉大なレガシーの上で、その恩恵を存分に受けながらわたしたちは暮らしている。
2030年、もしやるのなら、50年分の歴史を積み上げたその先にある、成熟した都市の祭典にしたい。