札幌オリンピック招致が絶対うまくいかない理由
2030年の冬のオリンピック・パラリンピックの札幌への招致活動が終わった。
逆風が吹きっぱなしだった招致活動だが、ついに札幌市が断念した。
形式上は、JOCからの提案を札幌市が受け入れる形だったそうだが、とにかく招致活動は終わった。
招致は難しいという見方が広がっていた中、僕もこれは絶対うまくいかないと思い、なぜそうなったのか考えるところがあった。これを機に、いくつかのニュースや資料を引きながら、僕なりの見立ても交えて書き残しておきたい。
市民そっちのけの招致活動、ヨコシマな動機、先走る政財界
招致に前のめりだったのが、市長をはじめとする政界(自民系・旧民主系とも)、そして札幌商工会議所などの財界。
世論調査での賛成意見の理由も「まちづくりに役立つ」とか。要するに経済効果を期待してのオリパラ。それ、本当にオリパラの意義なんだろうか?どうにもヨコシマな動機に思えてならなかった。
虹と雪のバラードの呪縛
「生まれかわる サッポロの地に きみの名を書く オリンピックと」
札幌の地下鉄では、「虹と雪のバラード」の接近メロディが流れる。1972年札幌オリンピックのテーマソング、不朽の名曲である。「オリンピック・パラリンピック招致の機運を盛り上げていくための取り組みの一環」として、2019年に導入された。
1972年の札幌大会に合わせて札幌が大きく変わったことは、僕も知っている。地下鉄南北線も1972年大会に合わせて作られた。この記憶を呼び覚ますことは、オリパラ招致の意義として掲げられた「まちづくり」(=再開発)ともリンクする。東京オリンピック、大阪万博、続いて札幌オリンピックという、1964年から1972年の輝かしい時代。札幌の招致活動も、あの時代を再現したいおじさん・おばさんたちの昭和ノスタルジー運動になっていなかったか。
72年大会の記憶を呼び起こす名曲を、72年大会のレガシーである地下鉄の駅で流し始めたことはとても象徴的だった。
他にも、招致に向けた活動として、冬に地下歩行空間のイベントスペースで72年大会の写真展とかもやってた。ジャネット・リン選手の写真とか。
おもしろかったけど、これを招致活動の一環としてやるってのがまた、過去に囚われてるなと思った。
なお、僕は個人的には「虹と雪のバラード」も、接近メロディも好き。一連の展示も楽しんだ。
後付けの「子どもたちの夢と希望」
…ということで、1972年世代のノスタルジーと、再開発や施設整備の契機にしたいというヨコシマな理由が見え見えなところに、取ってつけたように「子どもたちの夢と希望」を謳っているところが、なんともいえない。後付け感が半端ない。
噛み合わない批判と説得
オリパラの招致には、特に巨額の費用がかかることが批判されてきた。それに対して札幌市など推進側は「コンパクトな大会」を謳い、施設整備などは「どのみち寿命を迎えつつある既存施設の建て替えだから、新たな施設を作るわけじゃないし追加の費用負担にはならない」という説明をしてきた。なんというか、推進の理由がしっくりこない一方で、批判に対しては防戦一方という感じがする。
ドカ雪ショック
2022年2月、札幌は雪害に見舞われた。道路の除雪が追いつかず、車は走れず、地下鉄の駅まで雪中行軍を強いられる始末。この頃「オリンピックに金かけるより除雪の充実を」という批判が噴出した。
世論調査では、全国的には招致「賛成」が多い中、北海道だけは地元の負担を嫌って「反対」と拮抗していた。
ちょうどこの時期に行われた札幌市の意向調査でも、除雪等に関する意見が多く寄せられたという。
こうした批判の一因は、札幌市長の態度にあったと考える。除雪の体制自体は精一杯やっており、あれ以上やりようがなかった。でも、説明のやり方はあったと思う。市長は矢面に立って正面から現状と限界を説明すべきだったが、そうしたリーダーシップは見られなかった。そのことで、オリパラにばかり執心して除雪は後回しという残念な印象を持たれてしまったのではないか。
東京大会負のレガシーその1「市民生活への影響」
2020年の東京大会は「市民の生活よりオリンピック優先」が強く印象づけられる大会でもあった。あまり言及されてないけど、僕はこれも大きかったと思う。
折しもコロナ禍、それも凶悪な変異株「デルタ株」が大流行し、政府は緊急事態宣言を発出、市民生活に多くの「自粛」を求める中で、東京大会は無観客で実施、いや「強行」された。
そして!!なんと札幌では、憩いの場である大通公園の芝生が剥がされたのである!!マラソンの会場設営のために大通公園を3面も使って、本番の3か月も前から。5か月間も。
これが
こうじゃ!!
大通公園の封鎖と芝生撤去をニュースで知った時は唖然とした。
と同時に、市民の財産をお気軽に毀損するものだと呆れた。
この出来事は、オリンピックは市民の生活を犠牲にして行われるものだと印象付けるのに十分だった。
オリパラ招致が影響しないはずの「除雪」に絡めた不満が噴出したのも、一連の出来事で生じた「市民の生活よりオリパラ優先」という感覚と無関係ではないと思う。
東京大会負のレガシーその2「汚職事件」
そしてこちらは周知の通り、東京大会の汚職事件である。これが明るみになってから招致への賛成はさらに低下。「クリーンな大会」という、当たり前に満たすべき要件を必死にアピールせざるを得なくなった。
やる気のない市長
こうした逆風の中、2023年4月に札幌市長選挙が行われた。招致を推進してきた秋元市長に対して、招致反対を掲げた対立候補が出馬した。さすがにオリパラ招致というシングルイシューで対立候補が当選することはなかったが、
対立候補も2人合わせて4割以上を得票。NHKの出口調査では、オリパラ招致反対が64%、秋元氏に投票した人でも反対が45%と、オリパラ招致反対の民意が鮮明になった。しかも、30代は過半数が対立候補に投票したという結果に。
対立候補が「オリパラ反対」を掲げている中で、秋元氏は選挙期間中にほとんどオリパラに触れなかった。「評判が悪いから」と、あまり触れずにやり過ごす戦略だったのだろう。大事な選挙の場面で開催の意義を訴えなかった。ここに秋元氏のやる気のなさを感じた。本気でやりたいなら、批判覚悟で正面切ってオリパラ開催の意義を訴えるべきだった。これでは様子見の市民も賛成には回れない。とても残念に感じた。
ライバルの登場
さらに、ライバルも現れた。東京大会の頃までは「2030年は札幌が本命」と目されていた。僕も正直、招致活動が盛り上がらなくても惰性で札幌に決まるだろうと思っていた。ところがここへきて他にも招致を表明する都市が続々登場。候補地が6か所もできたという。
こうして、札幌の招致は詰みゲーとなり、オリパラ2030年の招致活動は終わりを迎えた。
2034年、2038年
往生際の悪い市長・JOCは「2034年以降の招致を目指す」と言っていますが、IOCが2030年・2034年の開催地を同時に決めると言っておるらしく、2034年はソルトレークシティが本命なんだとか。というわけで札幌が次に目指すのは2038年。途方もないな…
再開発と新幹線
北海道新幹線の札幌延伸が遅れるとか、遅れないとか。
遅れる、という報道が先に出たけど、JR北海道の社長は「元々オリパラには間に合っていない」と、開業時期に変更はない前提らしい。関係者間の綱引きの予感。
元々、北海道新幹線の札幌延伸は2030年度末、つまりオリパラには間に合わない。それを、2030年の招致が成功したら国家プロジェクトとして前倒しにするという目論見があった。
でも、工事はただでさえ遅れていて、それはやっぱり無理だったんじゃないかと思う。というか、オリパラ招致して新幹線を早く通そう!とか。そういうとこだぞ!支持されない理由。
2038年を目指すなら
以上のように、僕は招致活動には問題だらけだと考えているけど、心のどこかで「もし札幌でやったら楽しいだろうな」と期待する思いもあった。
2038年、今から15年後をもし目指すなら。… その頃には、札幌には新幹線が来て、再開発も一段落。72年大会の前後に建てられたビル群も多くが補修か建て替えが完成している頃。老朽化したスポーツ施設は本当に必要なものはリニューアルされている。それに、1972年のノスタルジーに浸る世代は現役を引退している。
いろいろなしがらみ(推進力でもあった)がなくなって、それでも開催しようと思う人がいれば、2038年に札幌でオリパラが開催できるかもしれない。
それに、気候変動の影響で冬の競技の開催適地が減ってしまうことが確実な中で、「持ち回り開催案」なども出ているという。例えば20年に一度開催となれば、施設も有効活用できて経済効果も抜群、札幌に住むことの新しい楽しみもできる。さらに気候変動が進むと、今世紀末には過去の開催地では札幌しか適地が残らないという研究もある。気候変動を止める努力をしないといけないが、もし当たってしまったら4年に一度札幌オリンピックをやることになるかもしれない。それはさすがに厳しいか。