原点回帰と餅屋
遠く、ずっと遠くへ。砂を、土を、草さえも踏みしめて。
増え続ける脱落者。一人にも慣れた。
思考の追究の果て、その無意味さに気づく。
ついに脱落したのだ、私は。
大きな回り道をした。
進む必要なんてなかった。
探す必要なんてなかった。
ただ気づくだけでよかった。
本当に大切なものが思考に邪魔されていた。
直感を信じ、こころに従う。
脱落者なんかじゃなかったのだ。
増え続けていたのは解放者。
なんとなく口にする慣用句や諺。
皆、真理を知っていたわけではない。
餅は餅屋。買った後は食べるだけでいい。
そのおいしさを堪能し、純粋に幸せを嚙みしめればいい。
自分が思いつく程度、数百年前に誰かが考えつくしている。
実践するだけでいいのだ。
年を増すごとに思考に縛られる。
墓に入るまで感情を、自分を騙すのか。
もういい、そんなことはしなくて。
歩き続けた先で、原点に返ってくる。
なんとも笑い話だ。
だがそれでいい。
ひとつの到達点まで歩ききった。
つまり、少しずつ、ほんの少しずつ。
だが着実に、前に進めていた証
汝、脱落者となり、解放者となれ。
補足:
ここに書いたのは思考からの解放だが、思考自体は必要だと思う。
世の物事は大抵、単純に表せるほど簡単ではなく、もっと複雑である。
今回の教訓は、考えすぎて足が動かない人、余計な思考に邪魔されている人、考えることこそが一番大事と思っている人に一石を投じるだけのものである。
最初から思考を放棄していいわけではないし、欲望のまま生きていいわけでもない。道徳や愛なしに社会は成り立たないのである。上で話したことは、逆に思考を放棄できない人、欲望に素直になれない人に向けての言葉である。