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戻って来た話①
Assalomu Alaykum𑁍
⚠️現在妊娠中の方は不安を煽ってしまう可能性がある内容となっている為、閲覧注意です⚠️
レインボーベビーとは、流産や死産、あるいは新生児期や乳児期のときに亡くなった赤ちゃんの後に生まれた子どものことを言います。その語源は、子を亡くすという悲劇の後に授かった赤ちゃんを、雨の後に虹がかかるような希望あふれるイメージになぞらえたもの。(Googleより引用)
欧米ではそう言われていて、実は娘がそうらしいです。イスラームでは生まれ変わりはないので、レインボーベビーというよりは「戻ってきた!」という方が正しいのかなと思っている私。
つまり、最初の妊娠で授かった赤ちゃんって…娘だよね!?という話です😂
初めて赤ちゃんを授かったのは2021年の秋。
不妊治療をしていて、今回月経が来なければ妊娠されてますよ!と主治医に言われてそわそわしていた時期。
不妊症だと言われてから不妊治療専門のクリニックに通っていた私と旦那。不妊症といっても、重度ではないと言われていたけれどクリニックに通うのも、自然妊娠が無理だという現実を受け入れながら治療に励むのも、それはそれは苦痛でございました。
「なんでそんなに子ども欲しいの?子どもなんていても大変なだけだよ」
「旦那さんと2人だけの生活で充分幸せじゃん。なんで子どもなんか欲しがるの?」
「不妊治療なんて気持ち悪い」
「子どもは授かりものだからw 治療なんか良くない」
色んな人に散々酷いことを言われて傷ついたけど、私の身体は排卵日がないというだけで排卵さえすれば妊娠出来る体質だったので薬を使って排卵を促しました。副作用はきつかったですね。眠気、吐き気、頭痛…などなど。
月経来ないねえ…と旦那と話していて、妊娠検査薬を使ってみようかと。
に…二本線!??
二本線って確か、陽性反応だよね!2人で抱き合って大泣き。すぐにクリニックに電話し、今すぐ来院してくださいと言われ、ドキドキしながら電車に揺られてクリニックに向かった事は今でもはっきりと思い出せます。
まずは、採血をして妊娠反応の確認。
やはり陽性!そこから胎嚢(赤ちゃんがいる袋。所謂赤ちゃんのお家)確認。この日は胎嚢が確認出来ず。
機械の性能が悪いのか、はたまた「子宮外妊娠」か。紹介状をもらい、大きめの病院に移る事になりました。
あんなに嬉しかったのに、抱き合って泣いたりなんかしちゃって、浮かれてたなぁ。帰ったら不安で不安でずっと泣いていました。どうか、どうか正常妊娠であって欲しいと。
いつの間にか悪阻も始まってました。
食べつわり。銀だこのたこ焼きしか食べたくない。大好きなチーズが臭すぎる!…匂いつわりw
2人でお腹に話かけたり、旦那は仕事行く前に必ずお腹にキスをして出て行ったり、お腹の中にいる赤ちゃんは私と旦那の子どもとして、既に沢山の愛情を注がれていました。
1週間後、クリニックではなく大きめの病院へ。そこでは胎嚢が確認できました!私も旦那も嬉し泣き。ここに私たちの赤ちゃんがいるんだね!とエコー写真を2人で眺めていましたね。
次は2週間後に来てと言われました。
胎嚢確認の後は、心拍確認です。赤ちゃんの心臓が動いているか。胎嚢の中に、赤ちゃんがいるか。
エコーで診てもらうと、胎嚢は確かにそこにありました。胎嚢の中に、うっすらと赤ちゃんが見えた私は
「先生、あれ凄く小さいけど赤ちゃんですよね?」と笑顔で言ったら
「そうだと思いたい気持ちはわかるけどw」
は?何コイツ。と思うような対応をされたのでびっくり。赤ちゃんの姿が見えてるのに、子宮外妊娠じゃなかったのに、なんでそんな言い草なのか…
この日、赤ちゃんの心拍は確認出来ませんでした。
心拍確認出来る週数は早い人もいれば遅い人もいる。ですが、確認出来なかった事に不安しかなかったので今日中に診てもらえる産院に片っ端から電話してもう一度診てもらいました。
「残念ですが、この週数なら赤ちゃんの心拍が確認出来るのが普通なので…お辛いでしょうが、Rahimaさんの赤ちゃんは──」
いやいや、そんなわけない。
だっているじゃんかそこに……ちゃんとエコーに映ってるじゃん!赤ちゃんいるじゃん。まぁいいや、もっと大きい病院で診てもらおっと!旦那に電話して「あなたが安心するまで行ってきていいよ、いくらかかっても大丈夫だから」そう言ってもらえて私は大学病院に電話を入れて、診てもらえるとの事で向かうことにしました。(当時の旦那は現在のお仕事とは違う職に就いていて、朝に出勤し夜に帰って来ていたので付き添いはなしでした。今は職が変わり夜勤になったので常に付き添ってくれている)
ポジティブ、ポジティブ…
タクシーに乗り込んだ私の目からは勝手に涙が流れていました。そんなわけない、そんなはずない…涙で視界が霞んだまま、大学病院に到着。
そちらでもやはり──
「残念ですが」
「放っておくと身体に悪いので」
「入院をして」
「手術が必要なので」
「お母さんやお父さんが悪いんじゃないのよ」
「絶対自分を責めたりしないでね」
医者の声はその言葉だけが聞き取れて、あとはずっと泣いてたと思います。誰かが私の背中をずっとさすってくれていたけど、多分助産師さんだったと思います。あの時そばにいて欲しかったのは、やっぱり旦那でした。
医者にはどういった手術をするのか、説明が書いてある紙を渡されて、診察は終了。
診察室を出たらお腹を大きくした妊婦さんが大声で、旦那さんらしき人に駆け寄り「女の子だって!」「マジかー!」と話していたり。
お腹をさすりながら笑顔だったり、あの場所で暗い顔をして泣いていたのは私だけで、私は自分の鞄にぶら下げていた自作のマタニティマークを急いで外して鞄にしまいました。
診察室からは「Rahimaさんは赤ちゃんを亡くした方なので、今後診察や入院の際は言葉に気をつけるように──」という声が聞こえた。初めて自分の耳の良さを恨んだ。
バスに乗り込み、一番後ろの席に座って沢山泣いた。
家に着いたら当然暴れた。
鞄を投げたり、マタニティマークを引きちぎった。これでもかというくらい泣いて暴れました。疲れてベッドに倒れ込んでお腹をさすった。
もう、いないんだね。私と旦那の赤ちゃん。
産んであげられなくてごめんね…
もう、いないんだ…と思った瞬間、不思議と悪阻が消えたのが一番怖かった瞬間でした。
続