ココがすごいよ今年のM-1(前編)
史上最高の大会と呼び声高いM-1グランプリ2019。イチお笑いファンとして、この勢いに乗じて、今回のファイナリスト達がどれだけ凄いことを短時間で簡単そうにやってのけているのかを、広く分かりやすく伝えたい。とか言いつつ難しい話もしちゃうと思うので、マニアックな話が好きな人は見てください。
去年炎上したので今年はなるべく中立的に、多少の主観も交えながら、1組ずつ振り返っていきたいと思います。
1.ニューヨーク「ラブソング」
今大会出場者で一番シンプルなネタ。だからこそトップバッターに向いていたし、ニューヨークが盛り上げてくれたおかげで今大会の格が上がったと言っても過言ではない。
歌詞のストーリー展開の小ボケが続いて、サビ後の大ボケが来て、間奏でツッコミの屋敷が言いたいこと(女子はLINEが既読にならないとかを喜ぶ、百万回って入れとけばいい等)を言うという構成が美しい。
「マイフレンド」「ラッキーボーイ」「冷静」のところは絶対笑ってしまう。フレーズこそ違えど、ボケの方向性は似通っていて、天丼(以前と同じボケを繰り返すこと)のような役割を果たしていたと言えるだろう。
賞レースでは後半に天丼が用いられることがよくあるが、効率的に得点を取りたい意図が見え透いて冷めてしまうようになってきた。その点、オリジナルソングを披露する、というテーマにすることで、曲というものの構成上サビが繰り返されるため、天丼に必然性を持たせることができる。
さらに、曲の進行から天丼のボケが来るタイミングを客が察することができ、その分、期待感を煽ることができる。何を言ってもウケる瞬間を作れる。歌ネタってこんな便利なシステムだったんだ、と気付かされた。
もちろんワードチョイスも素晴らしい。だって手を広げて歌っている奴が冷静な訳ないんだから。最悪な恋愛を経てマッチングアプリが一番出会えるとヤケクソになった奴のどこが冷静なんだ。
「なんやねんこの曲、バイト休んでからサビ行く曲」というツッコミもめちゃくちゃ凄い。ただ今までの情報を整理しただけなのに要約の仕方だけでウケるなんて。
一つ言うとしたら、前フリ部分の「仕上がりました、仕上がりました」「卒業式か」だけ嶋左のキャラ付けにもなってないし、ボケとしても強くないから余計なくだりだった気がしますね…
審査時に松本が、低評価の理由として「笑いながらするツッコミが嫌い」と言っていた。見返したら2001年のM-1で福田がニヤニヤしすぎていたチュートリアルにも松本は50点をつけていた。
多分、相方のボケを面白がっているように見えて寒いからなんだろうけど、今回の屋敷のニヤケ顔の理由は、そんなんではないと思う。ただボケを小馬鹿にしている顔だ。ボケというかオリジナルソングを通して、歌詞の主人公のような醜い恋愛を堂々とひけらかせる人達や、流行りのJPOPの傾向までもを小馬鹿にしている。そこがニューヨークの良さだけに松本のコメントは悔しい。
2.かまいたち「UFJ」
まさかの大過去ネタ。の大改良版。どうやら2本目にやる予定だったけど、出番が早かったから先に自信がある方を出したらしい。
僕としては去年の「ポイントカード」や一昨年の「怖い話」みたいな山内の筋が通ってるような通ってないような屁理屈がめちゃくちゃ好きだったんですが、「UFJ」は濱家が圧倒的に正しくて、観客が感情移入する方を明確に選べたのが高得点に繋がったのかもしれないですね。
まず入りの「今ちょっとUSJとUFJを言い間違えちゃったんやな」「そうそうそう…俺じゃない俺じゃない俺じゃない」のところ。
ここを下手にやるとめちゃくちゃ冷めてしまうところを自然な会話に見せきる演技力が本当にすごい。山内が「やな」ぐらいで手を濱家の方に向けて指すのに対して、濱家は「ちゃったん」ぐらいで「そうそうそう」と言い始めようとしてる。コンマ数秒の間の取り方が抜群。
前半は「どう乗り切る気?」「お前が確認することちゃうねん」「お前がサランヘヨって言ったから…」と完全に逆の立場のセリフを発する山内に対して濱家は3回「お前やん」とツッコんでる。後半からは山内は立て続けに「濁すなや」「こっち見ろや」「なんか喋ろう」と完全に濱家の行動を全否定するセリフを発して、濱家の怒りのボルテージが上がり観客を巻き込み始める。そして山内が空間に向かって喋り出すことで「意地張りすぎな人」から「異常者」になる。観客からして濱家との心的距離が一番近く、山内とは一番遠くなったこの瞬間、山内の「薬やってんのか」に対して、ボルテージMAXの「お前やん」が帰ってくる。それまでの3分半が全てここの「お前やん」のための布石になってる。なんたる構成力。
3.和牛「内見」
敗者復活戦と同じネタで来るとは思わなかった。「内見」と「引っ越し」の2本のストーリー性で優勝しようとしてただけに準決勝敗退が大誤算だったのだろう。
この漫才では前半が4つのチャプターに分かれている。
1軒目では「調味料が半分以上残っている」「トイレの紹介を理由なく後回しにする」と、物件に誰かが住んでいると推察できるボケが並ぶ。そして立ち去るときは水田が「お邪魔しました」と言う。
2軒目では「お邪魔しますと言って入る」「奥さんが出てくる」「奥さんがコーヒー出してくれる」と、完全に特定の人が住んでいるというボケが並ぶ。立ち去るときは2人で「お邪魔しました」と言う。
3軒目では「リビングでネクタイを緩めだす」「HDDの残量を知っている」「麦茶を勧めてくる」「トイレは座ってしろ」と、不動産屋が住んでいると推察できるボケが並ぶ。立ち去るときは川西が水田に「お邪魔しました」と言う。
4軒目では「ベランダに布団干している」と家に入らずとも誰かが住んでいると推察できたため、「お邪魔しました」と言うタイミングすらない。
このように4軒の内見に行き、ボケのパターンをそれぞれで統一しながら、その変容によって「誰が『お邪魔しました』と言うか」の全パターンをこなしている。
さらに、後半。前半の4軒の内見のせいで、正常者でなければいけないツッコミ川西の中の「常識」が変わってしまう。ツッコミは自分の中にある「常識」を軸としてその常識からズレているものをボケと認識してツッコむ。例えばトムブラウンでは布川が「中島を5人集めたらナカジMAXができる」という「常識」を軸に「ダメ」か否かを判断している。それと同じように、川西は「内見先に人が住んでいなければOK」という「常識」が軸になってしまう。そのため「玄関に蜘蛛の巣が張っている」「木の軋むドア」「コウモリ」「電気が通っていない」といった物件として最悪であるはずの条件を肯定し、かと言って「2階から聞こえてくる呻き声」「あそぼという子供の声」は住んでる可能性があるからと否定する。
前半は漫才を作品の域まで高める和牛の美学が詰まっていて、後半は漫才をメタ的に見て出来る限りの事をやってやろうという和牛の魂が篭っていたような気がしますね。
見れば見るほど凄いことをやっているけど、去年の方が衝撃が強かったかな…あとやっぱり水田は屁理屈の憎たらしい感じがキャラとして合っている。今回も前回も、和牛だけは過去の和牛と戦っているんですよね…
4.すゑひろがりず「合コン」
「かまいたち和牛と続いたあとに出来るのはすゑひろがりずしかいない、頼む笑神籤…」と思っていたら本当にすゑひろがりずで、今年は笑神籤の運が良すぎる。期待通り、場をリセットして後ろに繋いでくれた。すゑひろがりず自身も自分たちに行かせて欲しいと思ってたらしく、どんだけ仲間思いの良い奴らなんだと思ってしまった。
すゑひろがりずは、能とか狂言とかの伝統芸能をデフォルメするのがめちゃくちゃ上手い。完全に古語を喋っていたら何を言ってるか分からなくなってしまうし、「コンパ」とか「モテる」とかの現代語をまんま取り入れ過ぎても世界観が壊れてしまうし、そのギリギリのラインを突いて外さないのが凄い。
実は究極のあるある漫才になってて、古文の授業でしか出てこない懐かしワードを連発しているのにも関わらず、懐かしワードでウケてやろうという浅はかさが見えないという便利なシステムになってる。
にしても、やっぱりボケの1個1個が強い。店員の呼び出しボタンが「ぴろりんぽろりん」になるの面白すぎる。ツッコミの南條が大きくツッコんだあとにブツブツ言ってる「コンパじゃよ」とか「しかと致せ」とか「控えておけ」とか、一番素の現代人の部分が出てしまいそうなところまでこだわって言葉選びをしているところも好きですね。
構成で言うと、多分まだ観客が古語を聞き慣れていない状態のうちに古語の言葉遊びである「イッキコール」のくだりを入れておきたかったのだろうけど、あそこが一番テンポも早く畳み掛けで盛り上がる部分だけに、終盤にあればなぁ…しょうがないのかなぁ…と思いました。