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人生は運ゲー

1.「才能か運か」の議論に答えが出た

「努力は無駄!!人生は運ゲー!!」

 こんな発言を聞いたことがある人は少なからずいるのではなかろうか。
 少しこの前まで、このような発言は今まで何の努力してこなかった人間の戯言のように扱われてきたような節があるが、まんざら間違いでもなかったというような研究結果が出てきたらしい。

 「イグノーベル賞」というものをご存じだろうか。
 言わばノーベル賞のパロディのようなもので、風変わりではあるがユニークで、学術研究に対する興味を起こさせてくれる研究に与えられる名誉ある(?)賞である。

 ネットニュースでも多く取り上げられたため、聞いたことがある人もいるかもしれないが、この2022年のイグノーベル経済学賞を受賞した研究論文が『Talent versus luck(才能か運か)』というものである。

この論文の内容を非常に簡潔に言うと
「人生の成功は個人の才能より運による要素の方が強い」
というものである。

 まず初めに断っておきますが、ここからの内容は私の個人的主観も多く含まれております。
 もちろん論文自体も全て読ませて頂いておりますが、多少間違った解釈が含まれている可能性もありますので予めご了承下さい。

 下記の参考サイト一覧のリンクから論文の原文が読めますので、時間に余裕がある方はDeepLなどの翻訳サイトを用いつつ、読んでみることを強くお勧め致します。

 このnoteではまず、論文の内容と実験結果について説明した後に、これを読んでの僕の考えなりを後半で語っていこうと思いますので最後までお付き合い頂けると幸いです。


2.論文の概要

 この論文の内容をもう少し詳しく説明すると、金融・ビジネス・スポーツ・芸術等々の分野の成功において評価されるべきところは個人の資質や才能であるべきにも関わらず、現実を見て見ると偶然性や運の要素が限りなく強いという結論に至ったというものである。

ここで言う「運の要素」というのを具体的に言うと
・発音しやすい名前や高貴な響きの苗字であること
・生まれた国
・誕生月
・自身の活動が資産家や有力者の目に留まる
などの能力ではどうにもならないランダムな要素を指しています。

 つまり、成功者になるためには才能や努力だけでは不十分であり、このような運の要素も非常に重要になってくるということである

 さらにこの研究によると、世の中で成功者と呼ばれる人は才能に満ち溢れた人ではなく、平均よりちょっとだけ頭が良い幸運の持ち主であるという結果が出ている。

 ここで重要になってくるのは、このような平凡+αの幸運な成功者が世の中で「才能に溢れた人!」という後付けで評価を下されているという点である。
 
「成功者になるためには生まれ持っての才能が無いといけない!」
「俺には才能が無いから努力したって無駄」
という考えが生まれる背景にはこのような「後付けバイアス」が原因になっている部分があるのかもしれない。


3.シミュレーション実験から導かれた結論

 論文内ではこの後コンピューターシミュレーションを用いた実験の内容が記されているが、このnoteではその内容は省略させて頂きます。
 専門的な数学の知識等が入ってくるため、素人の僕が解説しようとしても間違った情報を与えてしまう可能性があるためです。

 下記の参考サイトのリンクから、動画にて分かりやすい解説をされている方がいらっしゃったので、後ほどご覧いただくことを強く推奨いたします。

 本当に簡単に実験内容を説明すると、ゲームの『シムシティ』のようにコンピュータ上に仮想の街を作り、そこに才能の差がある1000人の住民を住まわせる。
 そこにランダムに幸運なイベント、不幸なイベントを発生させ、40年後にどのような結果になるかという実験である。

 この検証から導き出された結論は
「成功した人間とは最も才能のある人間では無く、最も幸運な機会に恵まれていた人間である」
というものだった。

 幸運な機会の例として、ここで一つ「セレンディピティ」の説明をさせて頂きたい。

 セレンディピティとは簡単に言うと
全く予期していなかった機会に偶然出会い、予想外の発見をすることである。

 少し抽象的で分かりにくいので、一例を挙げさせて頂きます。

 アメリカで対潜水艦兵器用の音波探知機を作ろうと色々実験していると、潜水艦から出ているものではない音が聞こえる。しかも、それが規則的な音響である。
 この音源は一体何か、ということになって調べてみると、これがなんとイルカの交信であった。
 それまでイルカの”ことば”についてはほとんど何も分かっていなかったのに、これがきっかけになって一挙に注目を集める研究課題として躍り出た。

外山滋比古『思考の整理学』P66参考

 本来はは音波探知機の研究を行っていたにも関わらず、想定していなかったイルカの生体についての大発見を運よくしてしまったという一例である。

 これ以外にも学術研究において、このような偶然の発見により学会を激震させた研究は数多く存在している。

 シミュレーション実験の結果について話を戻すと、この実験の結果、最も成功をしていた人の特徴は
・偏差値55~60の人(平均よりちょっとだけ上)
・最も幸運に恵まれていた人
であった。
 

4.で、結局何が言いたいのか

 ここまで長々とこの論文についての説明をしてきたわけですが、結局のところ、なぜ僕が今回このテーマを取り上げたかについて説明していきたいと思います。

 まず「人生は運ゲーだった」という今回のタイトルを見てどのような印象を持たれたでしょうか。

 もちろん捉え方は人それぞれかと思うのですが、僕がネットニュースでこの記事が同じような見出しで書かれているのを見た時、「人生の成功が運で決まるんであれば努力なんでするだけ無駄じゃないか」という感想を持ちました。
 
 同じような感想を持たれた方も少なからずいらっしゃるかもしれません。しかし、内容を読んでみるとその考えとは全く逆だった事が分かります。

 前述したように、成功者とは「最も幸運な機会に恵まれていた人間」です。
 では研究者ではない僕ら一般人にとっての「幸運な機会」とは一体何でしょうか。

 僕のnoteやTwitterでは着ぐるみ活動だの、絵の活動だのの話をよくしているのでそれに置き換えて考えてみると、成功したいのであれば、活動の早いうちからどんどんSNSなどの人の目に触れる所で活動の実績をあげていき、評価を受けるチャンスを作り続ける事ではないかと考えました。

 僕の第1回目のnoteでも書きましたが、評価されたいのであれば「目に見える形で活動をし続ける」というのが大事です。
 そうすれば、自分の活動が思いもよらぬ人の目に留まってくれる機会が必ずやってきます。

 僕の周りにも「もっと上手くなってから絵を投稿する!」とか「来年になったら活動始める!」っていう人がかなりの数います。
 今から出来ない理由は何???と毎回思うんですが、それは今回のテーマからは外れるので置いておきます。

 これも前述したように「世の中で成功者と呼ばれる人は才能に満ち溢れた人ではなく、平均よりちょっとだけ頭が良い幸運の持ち主」であるという結果が出ています。

 幸運な機会との出会いをシンプルに確率と考えるのであれば、必要になってくるのは試行回数です。あなたが活動を始めるまでの準備期間にその機会が巡ってくる可能性も十分に考えられるわけです。

 その機会を最大限に生かすために必要になってくるのが努力の部分。培ってきた社会性であったり普段の言動、実績等々であるわけです。

5.最後に

 
 過去の僕のnoteではこれまで努力とは何ぞやみたいな事をダラダラと書いてきたので、この論文の存在を知った時、これは取り上げるしかないと思いました。

この論文の著者は最後に
「本来、地位や報酬は最も才能がある人物に与えられるべきである。この研究によって、機会や資源が才能を持つ人物に渡るような方法を見つけ出していきたい」と締めています。

 僕も才能ある人にこそ相応の報酬・環境を与えるべきだと思います。しかしこの研究によって多くの凡人が努力を続けるべき理由を見つけ出してくれたこともまた事実です。

 今回のnoteは個人的解釈も多く含まれているため間違った部分も多いかもしれません。チグハグな文になってしまっているかもしれません。
 私はこう思う。ここが違うというご指摘があればぜひぜひコメント頂けると幸いです。


《参考》
『TALENT VERSUS LUCK: THE ROLE OF RANDOMNESSIN SUCCESS AND FAILURE』

・謎解き統計学 | サトマイ さん

・【ゆっくり解説】9割が知らない雑学 さん

・外山滋比古『思考の整理学』


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