「どちらとも言えない」人たち目線のアピールを
今日の逢坂さんのnote記事を読んでて思ったんですが、世間というものは社会問題に関する「AかBか」式の質問をされたときに「どちらとも言えない」式の回答をしがちで、その理由は「その問題に詳しくないから」というものです。
この反応も、「関心がない」「興味がない」ということを指すのではなく、「安易な回答をするような無責任なことはできない」というむしろ誠実であるとも言えるものとも言えます。
しかし、社会に対して「正しさ」を求める不特定のユーザーは、この世間の反応を「逃げ」と解釈しネット上で強い言葉を用いた啓蒙に励んできましたが、それは結局のところは自陣営の数と力を増やそうとする下心に満ちた説教でしかないですし、説教される側もまたそれを理解し、それが自分たちの社会とその延長にあるはずの政治に対して忌避感や恐怖を抱く理由となっている。そんな風に見えます。
自分の言葉に触れる人たちの気持ちがわからない社会運動なんて根本的な矛盾も良いところですし、笑い話にもなりません。そして、SNS普及後の10年間、その矛盾を積み重ねてしまったのが日本のリベラル派であり人権派ではなかったでしょうか。
これからの10年、日本の社会運動に求めたいのは、「AかBかと問われてもどちらとも言えない」と回答する、責任と誠意ある多数の人々の目線に立ったアピールだと申し上げます。
なお、逢坂さんの記事の大元になる、山口真一氏のインタビューはこちらです。