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江湖=封建時代の中間団体説

 今日はちょっと思うところがあって、「中間団体」という言葉を調べ直してみました。

 個人が社会とつながる際に中間団体というものを介することでデモクラシーは代議制民主制としての健全さを保てるし、逆に中間団体が衰退しSNSによって個人が世界と直結する(またはその気になってしまう)ことがポピュリズムという暴民政治に至る直接民主制になってしまう、そんなことは言えないでしょうか。
 そして、実は国家権力が民衆を掌握しようとしたときは、この中間団体を介さず、官僚機構を通して直結することが望ましいとされています。
 これを実現させようとした理念が、封建時代の中国の「一君万民」です。

 さて、武侠クラスタをやっていて、一番説明に困る単語が「江湖」。度々言ってきましたが、これを武侠を知らない人に説明するのは本当に難しいです。
 ではなぜ難しくなるかというと、社会学的な定義を真剣に、かつ端的にできてないからではないでしょうか。
 そう考えたとき、頭に浮かんだのが、この「中間団体」という単語でした。
 王朝権力がどう言おうとも、人間社会の摂理として結社、または幇会と呼ばれるものは自然発生していきます。明代の白蓮教や清代の洪門哥老会などはその代表例です。

 そして、一君万民の理念に基づく専制的な支配を志向する王朝権力にとっては、民間の結社はそれ自体が国を割る叛徒かその予備軍として認識されます。
 その認識からの視界から逃れ(あるいは隠れてるように装い)、内部の統制を強めるために独自の習慣を構築し、かつ紛争に際しては自らの武力の行使を含めた自力救済を選択していった結果として生じた幇会=中間団体のネットワークが江湖である、という風に定義づけると、武侠を知らない人にも飲み込みやすいかな。

 そういえば、「江湖」という単語の“江”は長江、“湖”は洞庭湖と、どちらも江南を象徴する名前なんですよね。
 この名称こそが、強大な専制権力による治水や安全保障を必要とする中原=黄河流域の専制支配とは別レイヤーに広がる社会の論理を示してるのではないでしょうか。

2/14 追記 

 上記の記事で封建時代の中国の同業者組合だった「行」についても紹介されていました。そうだった、あの時代の中間団体について触れるなら、これを挙げた方が手っ取り早かったな。
 また、実際の江湖渡世の稼業についてもまとめられていますし、ご紹介いたします。

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