酔剣侠伝~小心、小心、ご用心!
羅老三が請け負ったのは、薬種問屋の次男坊の誘拐だった。
雇い主は険しい表情で言った。「小心」。用心せよ、と。
二十歳前の遊び人に用心しろと? 羅老三はその場の配下と共に笑い飛ばした。
三日後、夕刻。
彼らは、裏路地で屋台の饅頭を頬張る一人歩きの標的を取り囲む。他愛のない仕事のはずだった――先頭の者が相手に自らの棍を無造作に奪われるまでは。
異変に羅老三が気付いた時には、彼の配下は電光石火の早業で全員打ち倒されていた。
「得物が棍で良かったな。剣なら死人が出てたぜ」
標的の飄々たる言葉に、羅老三は凍り付いた。
いま見た技は棍法でなく剣法、しかも古の遊侠の秘剣、「木蘭酔剣」。
それを、こんな遊び人が会得しているだと!?
その遊び人、梁開心は身を軽く沈め、剣に等しき棍を構え直して囁いた。
「小心、小心、ご用心ってね」
「小心! 小心!」
薬種問屋「木蘭堂」の梁老板の叫びが屋敷中に響く。屋敷を照らす寧波の西門に掛かった夕陽より、その顔は赤い。
寧波の豪商と言えば、銘酒三千種を商う蘇家、「茶王」の異名を取る陳家、倭寇との密貿易まで囁かれる毛家、そして「木蘭堂」の梁家。
その寧波四大豪商の老板が人目も弁えず騒いでいる。ただ事であろうはずもない。
「何事ですか、父上?」
一人の若者が扇子を片手に悠然と歩み寄る。「父より老板らしい」と評判の木蘭堂の跡取り息子、梁開郎だ。
「これを見よ」
父が震える手で広げた書状を覗き込んだ開郎は眉を顰めた。
「ひどい字ですな」
「字などどうでも良い。お前の弟が狙われとるのだ」
老板が吐き捨てる通り、そこには「軍営への薬剤納入を辞退せよ、さもなくば」と脅迫の文言が並んでいた。
開郎は父の手から書状を取り上げると、静かに破り捨てた。
「開郎!?」
「小心、小心、ご用心」
息を呑む父の前で、木蘭堂の若旦那は静かな笑みを浮かべていた。
【続く】