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隋唐演義は楽しかった

BS11で平日放送していたドラマ版隋唐演義、最初は「ドラマ版があるのは知ってたけど、どんなもんかなあ」「まあ良い機会だし見てみるかな」くらいの、割と軽い気持ちで見始めてたんですが、気が付いたら平日夜のお楽しみになっちゃってました。面白いというか、まあ実際面白かったけど、それ以上に「楽しかった」という気持ちが強い、そんな視聴体験でした。

最終回を目前に控えた今日は、隋唐演義の面白かったところを色々とまとめてみたいと思います。

理屈無用、食わず嫌いをねじ伏せるビックリ人間コレクション!

最近の中華史劇クラスタとしてのてんぐは、市井に生きる遊侠や剣客が、巨大都市の闇を文字通り駆け巡り、歴史に残らずとも天下を左右しうる冒険を繰り広げる伝奇的な展開、TRPGのクラス風にいうとローグやバードのような軽戦士がメインとなる作品が好みです。

なので、甲冑に身を固めた重戦士が群雄割拠して天下取りに乗り出す展開は正直それほど好みでなく、それが隋唐演義に対して当初は視聴意欲が湧かなかった理由でもあります。

しかし実際見てみたら、出てくる面々は善悪どちらの方向でも強烈無比なビックリ人間ぶりこれでもかと誇示するもんだから、装備とか方向性とかそういう細かい話はあっという間に気にならなくなりました。

てんぐが一番推していたのは、煬帝さまこと楊広。「中国史上最悪の暴君」というキャッチコピーがつけられてましたが、むしろそういうキャッチコピーで売り出してるヒールレスラーって趣きでしたね。父である文帝の弑逆も見事なチョークスリーパーだったし

そんな煬帝さまの中の人のインタビューがこちらです。

マンガ版「荒野に獣 慟哭す」で(作画のおいちゃんが)「表現者としての権力者」という表現を使ってましたが、本作の煬帝さまはそんなタイプの暴君に見えました。

当代屈指の芸術的感性の持ち主が、天下を題材にしたアートをやりたくなった、そのためには皇帝の権力が必要だった、だから皇太子の兄を追い落とし父帝も始末し、天下の富も人命も盛大に濫用し、最後は自分自身の命で画竜点睛とした。

卑劣で暴虐で無責任、なのにその振る舞いの全部に、「天真爛漫かつ豪奢な悪の華」とでも言える、古今稀な魅力がありました。

その他にも、颯爽とした義侠心の持ち主ながら官と江湖を股に掛けた幅広すぎる人間関係のせいで始終気苦労が絶えず序盤はダイソンめいて不運を吸引し続けてきた秦叔宝、「衝動的行動表」とダイスを示して「俺がどこで何をするかはこれで決める」とマジでほざいて実行してそうな程咬金、ごく普通に振舞っていれば二枚目で通るはずなのに関羽になったり新米山賊になったりしてコントパートの一翼も担った隋末唐初のLARPのファンだった“銀の槍を使う美少年”こと羅成、気は優しくて力持ちという概念を煮詰めたHigh&Lowで言ったら関虎太郎相当の羅士信、本来は高潔な魂を持ちながら主君と親父に恵まれなかった悲運の勇者にしてリスカと元カノへのストーキングの常習犯だった広背筋オバケの宇文成都などなど、「今日のコイツは何をしでかすんだろうか」って出てくるたびに思わされる面々ばかりでした。

こんな愉快なビックリ人間コレクションだったからこそ、隋唐演義は楽しかったんだろうなあ。

荒唐無稽と侮るなかれ、古典演目としての隋唐演義の世界観の奥深さ

隋唐演義は史実ガン無視の展開が多い(というか大半はそんな感じ)わけですが、だからと知って荒唐無稽と侮ることはできません。その世界観を深読みしていくと、これが結構面白い。

例えば、1話で隋の文帝は、江南の陳を併呑した天下統一を果たしたのを寿ぎ全ての牢獄から囚人に対して恩赦を出します。この恩赦で解き放たれた囚人の中には、塩の密売(※具体的には手押し車に塩の袋を積み街中で堂々と売り歩いてた)で投獄されていた程咬金も含まれてましたが、その他にも牢から解き放たれた山賊や水賊などもいた事でしょう。

この構図は「水滸伝」の事の起こり、洪太尉が伏魔殿から天罡地煞百八星を解き放った事と符合します。

さらには、英雄好漢たちが義兄弟の結盟を結ぶ下り、山賊の根城でしかなかった瓦崗寨を奪って義軍の別天地を築き官軍と戦い、志ある将を同志として帰順させていく展開は、隋唐演義という演目が、天下国家を巡る群雄の興亡より緑林の好漢や豪傑たちの活劇に比重を置くという点で水滸伝の系譜に連なる事を示します。

ただ、水滸伝の場合は宋江が小役人根性で招安を求め続け義兄弟の大半を軒並み死に追いやってしまったのに対し、秦叔宝らは彼らの力の及ばないところで変質した瓦崗寨を見限り離脱し本来の大志を実現できる主君、すなわち唐太宗となる李世民を見出す、という救いがあるのが対照的です。

世界観の奥深さについてはもうひとつ。

瓦崗寨の好漢たちと隋の暴君奸臣たちは善と悪、白と黒で対になってるわけですが、実のところは存在としては同類ではなかったか、と後半になって描写されていきます。

例えば、妙な成り行きで瓦崗寨の皇帝となった李密が瓦崗寨の体制について、科挙官僚からドロップアウトした王伯当に質問すると、

「統治機構とか整備しようって言ったんですけど聞いてもらえなかったです」「月に一回の飲み会だけは欠かしてませんでした」

これ、瓦崗寨が一地域を実効支配して1年くらいは経って、各地の反乱勢力と比較しても最大規模と目されるようになった時期の話です。流石にてんぐも頭を抱えましたね、「今まで雁首揃えて何をやってたんだよ!」って。脳筋どもだけじゃなくて魏徴とかもいたんですよ? しかも義兄弟筆頭格で。

で、この瓦崗寨の造反エンジョイ勢としか言えない実態って、前述の煬帝さまの天真爛漫な暴君ぶりと、雰囲気が違うだけで中身はそんなに変わらないわけです。

そして終盤の一大イベント、江南に行幸した煬帝さまの近衛軍と反隋連合軍の大決戦となった銅旗陣の戦いにおいては、双方の名だたるキャラクターたちが次々と戦死していきました。その挙句、双方とも被害甚大なまま反隋軍は撤退、煬帝さまも史実通りの弑逆へのカウントダウンが進む結果に終わりました。

この善と悪の英雄たちの消耗戦も、対となる属性の持ち主同士が接近しすぎ対消滅を起こした、という風に解釈もできます。

そして最終盤に待っていたのは、自分の信念や決断、過去の因縁、ようやく得られた当たり前の幸せなどに起因した義兄弟同士の殺し合いという英雄叙事詩的な展開でした。

また、登場人物の画面への入り方や画面内での立ち位置の決め方、長兵器を存分に活かした立ち回りの見せ方、セリフ回しなどは「これって京劇や講談を意識してそう」「昔の観客もここでこんな風に歓声を送ったりしたんだろうな」と感じられる時がしばしばありました。

史実を無視した荒唐無稽に見える隋唐演義も、その世界観は実に奥深いものがあり、それは成立から長い時を経て錬磨されてきた古典演目の強さというものを教えてくれました。

本稿のまとめ

本稿ではキャラクターと世界観の双方から隋唐演義の魅力、というより、てんぐが如何に隋唐演義を楽しんだかを述べました。

本当にね、今年一番ハマった中華エンタメって、これだったんじゃないかなってくらい好きでした。これを放送してくれたBS11に感謝です。

もうひとつの隋唐演義、あるいは煬帝一代記

隋唐演義と同じ時代、同じテーマということで、こちらの「風よ万里を翔けよ」をご紹介します。

てんぐがこの本を初めて読んだのは高校時代でした。煬帝くらいは中学生の頃に遣隋使の話で聞いたことはあったけど、秦叔宝や羅士信、そして李世民ら隋末の英雄たちは、この本で初めて知りました。懐かしいなあ。

主人公はムーランこと花木蘭だけど、実質的には隋の煬帝一代記なので、隋唐演義が好きだった人たちにも強くオススメいたします。

隋唐演義、ただいま無料視聴可能です(2022年12月現在)

2022年12月現在、隋唐演義はYouTubeで全話無料配信中です。
もしこの記事を読んで、隋唐演義に興味を持っていただいた方がいたら、こちらでご視聴ください。

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