見出し画像

オリジナリティを出すのは後からでいい

■ 自分が平凡であることにガックリうなだれる人たち

アルコール依存症の診療をしている医師が、「アルコール依存症の人は、他の人と同じであることを嫌う」という話をしてくれたことがありました。

自分はアルコール依存症だと認めても、「自分は他のアルコール依存症者とは違う、自分には特別な事情があるんだ」と主張するのだそうです。であるから、他のアルコール依存症者と同じ治療を受ける必要はなく、自分に合った方法があるはずなんだという主張へと移っていくのだそうです。

そうした主張に対して、専門医の立場から「あなたは平凡なアルコール依存症者だ」ということを説明すると、本当にガックリとうなだれてしまう、という話なのでした。さもありなん。

それほどまでに、アルコホーリク(アルコール依存症者)というのは「自分が特別な存在である」ということにこだわり、すがりつき、そうではないと否定されると自分を全否定されたみたいに感じる傾向があるのです。

自助グループに通ったほうが回復する可能性が高くなるというある程度客観的なデータが示されても、自分独自のやり方で酒を止めることにこだわります――それがうまくいくのなら、周りがとやかく言うことではないのですが。

うまくいかなくてAAにやって来たとしても、そこでも精一杯他の人との違いを出そうとします。例えば12ステップの解釈にしても、自分なりの解釈にこだわってしまうのです。

そのようにオリジナリティ(独創性・独自色)を出そうとするのも悪いことではありません。皆がまったく同じ解釈になってしまったら多様性がなくなってしまいますから。

■ トンカツの再発明

だが、オリジナリティにこだわる作戦はだいたいうまくいかないのです。一つ例え話をしましょう。
あなたの友人が、まったく新しい料理を作ったので食べてみてほしいと頼んできたとします。

友人「試行錯誤を3年重ねて、ようやくこの料理が完成したんだ。豚肉にパン粉を付けて揚げるとウマイんだよ」
あなた「これトンカツだろ?」
友人「トンカツ? 何それ?」
あなた「トンカツの作り方だったら、料理本に書いてあるだろう」
友人「知らなかった~、俺の3年間は何だったんだ!」

そんなこと起きるわけないだろう! というツッコミはもっともなのですが、12ステップの世界では、こんなことがしょっちゅう起きているのです。

たしかに、ビッグブックとかは小難しいので、読んでもさっぱりわかんねー、ということはあるかもしれません。だからこそ、いろんな人が12ステップの解説本を書いて、分かりやすく説明してくれています。そのなかで人々によく読まれている本が何冊も日本語に訳されています。

そういった本を読めば、とりあえずトンカツの作り方が分かります。実際に作るかどうかは読んだ人次第ですけど、少なくともゼロからトンカツを再発明するという無駄なことをする必要はなくなります。ところが、12ステップにおいては、そういった解説本を読みたがらず、自分独自の12ステップの解釈にこだわってしまう人が少なくないのです。

自分の独自色を出したいのなら、まず料理本通りにトンカツを作れるようになってからでいいでしょう。なによりも、そのほうが自分の人生の時間を無駄にせずに済みます

そもそもAAの共同創始者のビル・Wは、12ステップは彼らが独自にゼロから作り上げたものではなく、すでにあったものを組み合わせただけで、新しい部分はどこにもないと言っているのです。彼らはオリジナリティなんかにこだわっていませんでした――だから回復できたのでありましょう。

■ なぜ独自色にこだわるのか

アルコホーリクは、なぜそんなに自分のオリジナリティにこだわるのでしょうか?

ビル・Wは、彼がAAを作り上げることになった動機の一つに「ナンバーワンの男になりたい」という強い欲求があったことを認めています。そして、アルコホーリクと付き合っていれば、彼らがナンバーワンになりたい人たちであることに気づかされるでしょう。

ナンバーワンになりたいという欲求は、必ずしも「人と競争して勝ちたい」という形で表れるとは限りません。逆に競争を避ける方向へと人を向かわせることもあります。なぜなら競争や比較をしなければ、自分が負けることもなく、自分がナンバーワンではないという事実と向き合わなくて済むからです。

たしかに、無用な競争や比較によって、無駄に悩んでいる人はたくさんいます。だから、人と自分を比べるなというアドバイスには一定の意味があるのです。

何かを学ぶことは(学ぶことに限りませんが)、先行者がいるということを意味します。自分より先にその学びの道に入り、自分より先に進んでいる人たちが存在しているのです。自分より何かを知り、何かを掴んでいる人たちがいるのです。何かを学び始めるということは、最後尾から彼らを追いかけることになります。頑張れば何人かを追い抜けるかも知れませんが、一気にごぼう抜きにしてトップに立つことはできません。

競争という点では先行者とは勝負になりません。比較をすれば自分が劣っているのも明らかです。学びの道に入る人たちは、勝負や比較においては自分が負ける存在である事を受け入れています。ナンバーワンになることを目指すのではなく、ただ自分が求めるものがそこにあるから、その道を進んでいるのです。ステップを学ぶ人たちは、他者と比較して自分が優れていることを証明するためではなく、自分が回復したいからこそ学んでいるのです。

ナンバーワンになりたいという欲求が強すぎると、この学びの道に入ることができません。ビル・Wたちは「広い道を私たちと一緒に歩こう」と言ってくれているのに、「いや結構です」と言って、山林原野の藪の中に分け入っていきます。そこにはもちろん先行者はいません。だから、そこでは自分がオンリーワンであり、同時に常にナンバーワンでもあれるのです。

最初からオリジナルを目指す人たちが、偉大な成果をもたらすことはあるのでしょうか? 絶対無いとは言い切れませんが、せいぜいトンカツを再発明する程度に留まってしまいます(たいていはトンカツのような食える料理にまで仕上がらないでしょう)。やはり、藪の中を進むのはキツいらしく、あまり先へは進めないようなのです。

■ 道を作る

最初から広い道を歩んだ方が、人生の時間を無駄にせずにより遠くへと進めるのです。しかし、その広い道はどこまでも続いているわけではありません。

解説書を書いたり、それを説明してくれる人たちは、いわば人々が歩きやすいように道を整備してくれているのです。学ぶ者にとってはありがたい存在ですが、そのような先行者や整備者たちは、いつまでも存在してはいません。彼らも人間であり寿命があるので、やがてはその広い道から消えていなくなってしまいます。だから、その道を進んでいった私たちは、最終的にはその道の終わりにたどり着いてしまいます。そこから先には道がなく、藪が広がっているばかりです。さらに先へ進みたければ、藪の中に分け入っていくしかありません。

結局私たちは藪の中に入らざるを得ません。ただ、出発点の近くで藪に突入するか、広い道を遠く進んだ先で藪に突入するかの違いがあるだけです。

本から学び、人から学んでも、最後はオリジナリティを発揮することにならざるを得ないのです。だがそこではどこにも存在しなかった新しい料理が生れるのであって、トンカツの再発明とは違うのです。そうやって初めて多様性が保証されるのです。トンカツばかりのAAじゃ面白くありません。

オリジナリティを出すのは後からでいいのです。まずは先行者たちが進んだ道を進んでみることからです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?