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RAFTができるまで。vol.12

❶❷

~とーまさん編
ひょんなことから。。。


とりあえずギプスは取れたものの、ボールは投げられない日々が続いた。
フラーっと立ち寄った上野。
そーいえば、先輩、働いてたよなーっていう感じで挨拶がてら覗いた靴屋さん。


丸坊主が茶髪になった野球部の先輩。
「こんにちはー。お久しぶりです!」
リハビリしながらのバイト生活をすることになった話をすると
「そうか。じゃあうちで働けよ」
…とまぁ、なんとも軽ーい形で靴屋生活が始まった。。。


12月の1年で1番忙しい時期。
ドタバタしながらの販売業が始まった。


内定を貰っていたスポーツショップでのバイトの経験があったのでオペレーションの流れはすぐ掴めたんだけど、ブランド数も在庫数も多くて、最初は大変だった。


そこからは本当に忙しない生活。
リハビリをしてバイトをして、バイトをしてバイトをする。
アメトークにでるバイト芸人みたいな生活。
まだ球は投げられない日々…。


色んなもやもやを払拭するようにより一層、働くことに気持ちを費やした。
野球部の先輩が職場の先輩になった。


部活の先輩と仕事をする日がくるなんて思ってもみなかったし、少しの間抜けてた期間があったりもしたんだけど、なんだかんだで13年も続いている。。。


個人店の小さな会社の靴屋さん。
上野に3店舗。
個性を発揮したお店。
個性しかないスタッフ。
アルバイトから始めて、3年。
レディース館の店長になる。
レディースのサンダルやパンプス、ブーツ…
分からないことだらけではじまった。


お店のオープン前にメーカーさんにアポを取り会社に伺って、フィッティングや仕様のレクチャーを受けたりしながら少しずつ知識をつけて。
展示会に行ったり、商談をしたり、管理も任されるようになり、仕事の幅も広がった。


その頃くらいから硬球を投げられるようになる⚾
クラブチームでの野球を再開したり。


だけど、サービス業だと土日休みがなかったのでほんと、趣味野球ってところまで優先順位は下がってしまった。
野球部の先輩と毎日会ってたのに、1度草野球に呼ばれたことがあっただけ。笑


一緒に死ぬほど汗を流していた頃があったからこそなのか?🤔🤔
ライトな野球は一緒にしたくなかったのか??🤔🤔🤔
「野球」にも種類があるらしい。笑


当時、先輩はスニーカーのマーチャンダイザーとしてお店を作っていた。
コツコツと実績を積み、コツコツと成果を出し、お店ではヘラヘラと立ってるだけのように見せてたけど、いつも周りに目を配り、いつも細かくデータをチェックし、いつもおうちでまで仕事をしていた。


メーカーさんの信頼も着々と勝ち取り、商談枠をどんどん広げ、「結果」に拘って働いていた。


その痩せっぽちの背中を見て学び、どんどん「靴屋さん」になっていった。
レディース館でもスニーカーをやるぞ!って日がやってきた。
自ら身体を作ったり、スポーツジムでの経験から足の使い方、大切さは生活の中でも実感してきた。


野球を通して得た、身体の使い方は足の使い方を伝える方に生かされ、自分の接客スタイルの強みになった。


そして、スニーカーと台東区を愛する先輩との雑談の中からたくさんの知識を得たり、接客を見て学んだり。
オシャレだけじゃなく機能で選べるスニーカー。


レディース館の取り扱い商品がスニーカーにシフトしていく中で一層お客さんに伝えられることが増え、楽しみが増えた。
一緒に展示会をまわらせてもらったり、お店の運営の話を聞いたり、戦略を詰めたり、プロ野球の話をしたり。


勝負をかける思い切りの良さは半端ないのに、時々、これはどう思う?とか意見を求めてくるところとか。人間感ある仕事の仕方がすごく好きだった。
軽ーいノリで始まった靴屋さん生活はこんな感じで流れていった。


部活が仕事に変わっても切磋琢磨という部分は変わらずで。。。
熱かった。


そんな感じで日々を過ごしながら少しの隙間時間でやっていたクラブチームでの野球。
優先順位は低かったけど打ち込んだ時間は相当なものだったから、生活の一部であり続けていた。


コーチにならない?って話を貰ったりする中、教えたい気持ちはあったりもしたけど、当時は元プロ野球選手がコーチになったりトレーナーになったりの流れが定着し始めていて、その人たちにはかなわないしなーなんて。
30歳を目の前にして、もう一度野球に挑戦しないか??って話がやってきた。
超えてしまえばサラッとした30歳。


今となればなんでも出来る若さだなって思うけど、当時は30歳って人生の大台感半端なかったし。。。


アメリカ、カリフォルニアのウィンターリーグ。
トライアウトを受けてみたら?という話。


自分の意思があれば受けられるやつだったんだけど、「海外の野球に触れる」という経験にチェックを入れるためには、最後のチャンス感しかなかった。


休みの日はトレーニングにあて、出勤前にジムに行き、帰ったらおうちで筋トレ。。。再び身体を作りを始めてみた。


本気で野球をやっていた頃からは時間が経ってしまっていたし、「三十路」が目の前に迫っていたし、仕事も楽しくやっていた。
大きな決断をくだす。
店長を辞めてアメリカの野球に挑戦する。





おっと🤨また野球の話か💦💦
ということで、次回に続く。。。

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