私が手話という言語に目覚めたきっかけ
私が手話という言語に目覚めたきっかけについて話したいと思います!
私はフィリピンで生まれました。父は日本人、母はフィリピン人、祖母はスペイン人です。6歳まで耳が聞こえなかったため、保育園や幼稚園には通わず、家で過ごしていました。言葉を学ぶ機会もありませんでした。
6歳のとき、フィリピンよりも日本の聾学校の教育が良いと聞き、家族と一緒に日本に移住しました。そして聾学校に入学しましたが、英語も日本語も手話もわからず、毎日苦労していました。手話を学び始めたのは日本の学校に入ってからで、日本語の勉強を始めたのは10歳のときです。今も日本語を勉強し続けていますが、特に漢字や文法は難しく、苦労しています。
聴者の人たちは耳と目で言葉を覚えますが、耳が聞こえない人は目だけが頼りです。その大変さを多くの人に知ってもらえたら嬉しいです。
また、口話ができるようになりたくて、放課後に先生と発音の練習を毎日しましたが、うまく話せるようにはなりませんでした。
手話という言語を知ったきっかけ
手話の本当の魅力を知ったのは、高校を卒業した後です。あるとき、米内山明宏さんのYouTubeを見て、手話が日本語とは違う言語だということを初めて知りました。手話は音声言語ではなく、視覚言語であることを知り、とても驚きました。それからは声を出さずに手話を使うようになりました。この発見は、私にとってとても大きな出来事でした。今でも忘られません
また、「ろう文化」というものがあることも知らずに育ちました。私の家族は全員聴者で、私は聴者の世界で育ったので、ろう者やろう文化について意識することはありませんでした。学生時代も、学校では手話の授業がなかったので、手話やろう者、ろう文化について学ぶ機会がなかったのです。
昔は、ろう学校で手話を使うことが禁止されていた時代がありました。私が学生のときも、手話を使うだけではなく、「手話を使うとき、声も一緒に出しなさい!」と先生に言われました。
高校卒業後に初めて手話やろう文化を学び始め、多くのことに気づきました。そして、「手話って本当に楽しい!」と感じるようになりました。耳が聞こえないことに悩むこともありましたが、今ではろう者として生まれて本当に良かったと思っています。
手話を広めるために
手話が言語として正式に認められたのは2000年代になってからです。そのため、手話について知らない人がたくさんいるのも無理はありません。でも、手話を広めるためには、私ひとりの力では難しいです。多くの人の協力が必要です。
手話を学びたい方には、特に次の2つのことを知ってほしいです。
1. 「手話は日本語とは異なる言語」
2. 「手話は耳で聞くのではなく、目で見る言語」
また、日本手話は年配のろう者から受け継がれた文化そのものです。それを失わず、次の世代に伝えていくことがとても大切だと感じています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!