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ぼくとくまのはなし(2006-2009)

 過去のテキストを再構成して「ぼくとくまのはなし」をnoteに置いてますけど、このへんはほぼ3月末の奇襲の話を改めて書いていくぞという前振りだと思っていただければ幸い。BBに関しての前振りがないとなんのこっちゃわからないですもんね(笑)。

 今回ははじめましての2006年から2009年のオースターのお話。球界のスポーツ・エンターテインメントが動き始めた頃のお話です。

■はじめまして以降

 B・Bとのはじめての出会いの後、前年以上に野球場に行き始めた私。

 そこで写真を撮っていくものの、当時のコンデジだとここだというポイントでシャッターが降りない、タイミングにラグがあるなど、ストレスがたまりはじめ……。結局夏前にデジタル一眼レフカメラを購入していました。中学校時代に写真部部長ではありましたが、技術よりノリの部長。技術的なものは一切ない状態でほぼゼロからのスタートではあったんですが、撮ることが楽しくて。球場に行っては色々なシーンを切り取って遊んでいました。

 そんな中で2006年の海の日にマーくんとクラッチが雨の中で抱き合って仲睦まじい光景をリーンちゃんに見せつけるというシーンを、雨が強く降る中で撮影していた私。こんなにも面白い世界をいろいろな人に伝えたいとエフエムさがみで担当していた番組に加え、ブログで撮ってきた写真とともに紹介するということを始めていました。

 当時は向こう側から出てくる情報が少なかった頃。自分で見た色々の備忘録的部分という意味合いもありましたし、実際の球場でないとなかなか伝わらない、みんなが活躍している姿を伝えたかったというのが大きくて。現在はSNSの発達もあって、色々な皆さんがいろいろな話や写真を伝えるようになりましたし、個人的な観戦数増加や諸事情もあり、きっちり記事を書いてってのはちょっと無理が出てきて現在の形に落ち着いたわけですけど、2006年当時は大手メディアの注目も大きくありませんでしたし、自分が伝えねば誰が伝えるんだという、そんな強い気持ちを持ってやっていました。
 
 
 更新が普通に追いついていた頃……。NPB全体を見て楽しむということに気づく前、年間20~30試合程度の観戦だった頃は仕事終わりで球場に行く頻度が低く、北海道日本ハムファイターズの東京ドーム開催にあまり行くことがなく。行けば野球はあるのにその腰がなかなか上がらなかった時期だったんですよね。

 祝祭日を中心に千葉マリンに足を運び、プロ野球の楽しさを、興行の楽しさを感じつつ、細かく動いている球団マスコットたちの動きを撮りながら、その様子を放送やブログで勝手に紹介していました。その当時は本当に公式から降りてくるような情報が少なく、かといってゆかいな仲間たちを軸にしているブログも片手で数えるレベル。その頃はもう放送で普通にやってましたから、本名で色々やってましたけど、大きな掲示板にこんなんあったとか、よくやってました。

 SNSが発達した今でもなんでバレるのとか思うんですけども、よくよく考えたらこっちも情報を求めてたんですから、向こうもどういう風に見られているか検索しますよね。今だとほんとによくわかりますし、いつもどこかで(向こう側から)見られているという強い気持ちを持ちながら遊んでいるわけなんですけども。
 
 そんなことを知ってか知らずか、コラムは毎月楽しみにしていたものの、BBに再会したのは、はじめての出会いから1年半後の東京ドーム。ガリバーオールスターゲーム2007が行われた東京ドームでした。


■初めて見たオールスターゲームでのB・B

 当時のオールスターゲームはチア大集合も試合開始前ステージもなく、キャラたちがウェルカムグリーティングを行っている程度でした。

 このあとに書いていきますが、2009年の札幌、2011年の名古屋千葉仙台でのオールスターゲームを経て、日本プロ野球のオールスターゲームの演出が色々と変わっていくんですけど、この頃はまだまだ何もなかった頃。前年のフレッシュオールスターゲームでマスコットシートが設定され、スタンドでお客さんと観戦する時間があるとか、その程度の扱いだった頃です。

 当然の如く情報も何もなく、とりあえず半休をとって横浜から東京ドームへ。指定席でしたし、大して並んでいない状態で開場直前のゲートを見ていると……ウェルカムグリーティングを行うべく待機しているB・Bとネッピーの姿が。開場前から最大限楽しませようとしているその姿を見て、有限実行と言いましょうか、コラムに書いている自身の行動理念と言いましょうか……。使える時間は最大限使ってみんなとふれあいたいってポリシーってのは揺るぎないんだなぁと感じていました。

 わちゃわちゃしたコンコースグリーティングではほぼ声をかけることができず、狭いコンコースでわちゃわちゃになっているみんなの姿を見ながら、座席に到着。キャラクターたちの人気って凄くなってきているのかもと感じつつ、試合開始前に行われたキャラクターたちとの撮影会風景を横から眺める形に。

 個々の個性の強さを徐々に知り始めていた頃ではあるんですけども、実際12球団の面々が集まるとまぁ思い思いすごくて。そんな中で、B・Bも色々と遊びたい目立ちたい心があるのは伝わるけども、根がピシッとしているせいか必然的にまとめ役に。またそのまとめ役が似合うなぁと、ファインダー越しに見ていました。
 
 その年、BBの姿を見たのはこのオールスターがほぼ唯一。今よりまっとうと言ったら絶対に語弊がありますが、2007年前半は本当にスタジアムに足を運ぶことに対して臆病だったというか、自制心が聞いていたというか。それもこのオールスター戦を終えた後は「行けるところは全部行く」という考え方に変わっていました。

■東京に鎌ケ谷に

 2008年は「行けるところは全部行く」という考え方に変化し始め、開幕から行けるところを探して、カメラ担いで遊んでいた年。東京ドームの北海道日本ハムファイターズ主催ゲームにもいよいよ行きはじめ、北からやってきたB・Bと鎌ケ谷と東京ドームは庭的なカビーととのやり取りを笑いながら見ていました。

 顔を合わせるとケンカ(と言う名のコント)をしているB・Bとカビーという姿は、この頃ほんとによく見た光景。熊自身がコラムで書いていたんですけども、カビーと言う弟をしっかり認めているのをみんな知っている上で兄弟喧嘩を囃し立て、基本的にみんなでカビーの味方になって遊ぶってことをよくやっていたり。

 グリーティングやフィールドでの登場、当時はあったSwing Swingのコーナーなど、東京ドームでの動きに慣れていたって感じなんですけど、その締めくくりが毎度22ゲート前でのグリーティング。知ってる人も知らない人も、普通に触れ合ったあと、B・Bとカビーのやり取りを楽しく見守っていたのを思い出します。
 
 
 楽しく見守っていたと言えば、この頃は東京ドームの日程と併せ、ファームの試合にB・Bが来るということも結構多くて。後々考えていくとこのあたりで身バレが確信に変わったのかなとも思いますが、カビーの家に遊びに来たB・Bと言う図式で色々なイベントに参加して、カビーと一緒に応援したり。

 この姿は当時のB・Bにとってはいいリフレッシュというか、同じチームではあるもののマスコット交流的に楽しかったのかなと。当時の写真を改めて見ても、なんか妙にいきいきしているような、そんな雰囲気が。試合終盤、当時の鎌ケ谷応援団のみなさんと一緒に応援している姿がなんかすごく楽しそうに見えていました。

 ある意味でB・Bの思い出ってこの鎌ケ谷での色々が最初。それこそいろいろとコラムで書いていたこともありましたし、声をかけるときとか相当緊張しながらだったんですけど、このあたりから相対しても緊張しなくなったというか、B・Bに相対することに慣れていたんだろうなぁってことを思い出します。
 
 
 東京ドームとファイターズスタジアム鎌ケ谷。鎌ケ谷でのゲームの罰ゲームを東京ドームで行うとか、場内演出でたまに連動したものもあったり、基本線は札幌準拠ではあるけど、札幌ではできない、札幌では見せない演出や空気感というのを出しているのかなと言うのを感じつつ、いつか札幌で躍動するB・Bが見たいなと言う気持ちを募らせていました。


■僕らの夏

 みんなの姿を追いかけて、B・Bの姿を見るようになって三年目の2009年。この年はB・B Photo Book RUNの発売が。前の年の鎌ケ谷で遊んでたシーンが写真として使われていて、あのカメラさんは道新のカメラさんだったんだってのに気づいたり、オープン戦でのサイン会でポッドキャストなどでしか言っていない「予約時、店員さんに本の名前をRUNじゃなくONEって聞き間違えられた」ってネタを元に「ONE」って書いてきた挙げ句、名乗らないのに名前を書いてくるという予想外の動きがあったりってのが最初の記憶。この前後でみんなはファンのことをよく見ていると感じましたし、それは今もひしひしと感じています。

 そんな2009年は年間予定でフレッシュオールスターゲームとオールスターゲームが札幌で開催されることがわかっていたんです。そこで北海道日本ハムファイターズのメインマスコット、B・Bがなにかしらの大ネタを仕掛けてくる思っていたんですけども、その予想は正解でした。 
 
 5月後半には「【#66】 僕らの夏」と言うタイトルのコラムで当日にかける思いを書き、なにかすごいことをやろうとしているというのが伝わってきて、これはなんとかしなくてはと。自身で担当していた放送やその頃に書いているテキストなんかでも、7月のオールスターとフレッシュオールスターが物凄く楽しみだって、そんな話をしていました。

 前年の2008年は変則日程で木金でオールスター、土曜日にフレッシュオールスターと言う日程がありましたが、2009年は(その以降も)木曜日がフレッシュオールスター、金曜日土曜日がオールスターと言う日程(2011年から2013年はそのまま日曜日のパターンと移動日一日あけて月曜日にと言うパターンで東北開催)。金曜日はまだしも木曜もとなると、仕事のやりくりが大変だったんですが、代休と有給がちょうどうまい具合にできたので観戦決定。今では日程はどうだ、飛行機の発売日はいつだとかやっていますけど、当時は飛行機をとるのも初めてでドキドキしながら旅作で旅程を作っていた記憶があります。
 
 
 大人になってからはじめての札幌へは当日フライト。今なら間違いなく前乗りしてどっか飲みに行っているんですけども、このあたりは仕方ないよねって思います。お昼前に新千歳に到着して、札幌のお友達が列を確保しておくから観光してきていいよというお言葉に甘えて時計台とかテレビ塔とかを見た後に札幌ドームへ。

 昨今のオールスター戦だと、色々と情報が出ていたり回ってきたりしますけど、ほんとやる方も手探りなら見る方も手探り。札幌ドームで色々やるならテラスでしょうということで、北ゲートから入場後に座席とかはともかく西ゲート方向に向かい、テラスへ。そこにはしっかりとしたステージが、福住駅方向を背に作られていたのです。

※今だとグルメ系のイベントの時に屋台が並ぶあたりにステージが組まれていました。

 ステージとお客さん最前がちょっと狭くないかなって感じるも、平日だしそんなにはお客さんは……と思ったのは一瞬。本当にたくさんのお客さんが詰めかけて、B・Bがプロデュースしたステージを見ようと、何が起きるのか見届けようとしていました。実際、私も含めてでしょうけども、色々な球場で見るけども名前は知らないお客さんたちが一同に会している状態だったんですけど、みんなただただ「全員集合したB・Bプロデュースのステージで何が起きるか見たい」と集まっていました。

 フレッシュオールスターゲームでのステージは個人戦で椅子取りゲームにお絵かき対決と、一日を通じてポイント制でナンバーワン決定戦を行っていく形。今から見ると、ある意味で後のステージでもおなじみになっていく競技が。競技の後には「『野球場へ行こう』を五回裏に踊るから、その振り付けをみんなでつけましょう」と言う、かなり攻めた展開が。

 ステージでの色々を見ていて、これはとんでもないステージを見ることになったのかもしれないと言う思いが。いろいろ都合をつけて、札幌ドームに居られてよかったと、試合開始前の、そのステージだけでも十分に感じていました。
 
 フレッシュオールスターゲームの日はその後もコンコースにキャラクターグリーティングゾーンが設置されて、ふれあいもちゃんと考えられていたり、当日でも結構パニックになった記憶がありますけど、今ではもうセキュリティ的に実現不可能だと思われるコーラ売対決(顔見知りのキャラから大量にコーラを売られて大量に飲んだ記憶)が行われたりともう、キャラクター好きには好きの洪水が溢れんばかりの大騒ぎ。2004年から数えて5年ぶりとなった100m走もハンデを入れながらではありましたけど、ガチンコ対決で現地のお客さんはかなり盛り上がって、初日からえらい騒ぎだったのを覚えています。

※ちなみに優勝はハンデをもらったクラッチーナさん。ハンデなし部門ではドアラさんとB・Bの競り合いの末、ハナ差でドアラさんの勝利。 
 
 翌日はチーム戦で見せていく皆さん。オールスターで制約が結構あるんだろうなぁと予想する中、試合開始前のステージからほぼほぼ前日同様の攻めっぷりを見せていき、テレビじゃ見られないマスコット劇場を一歩進めていった感覚が。前日同様のグリーティングスポットはそのままでしたし、イニング間のキャラクターの出番も相当多いと。B・Bはそういうところもテレビに映してもらいたかったという思いはあったようなんです。フレッシュオールスターゲームはかなり攻め込んだ形だったらしいのですが、オールスターの方は大人の事情を突破できなかったのかなと。

 正直な所、その年以降、何回かテレビ中継でオールスターを見ることがありましたけど、ほぼみんなの動きってのは映らず。テレビではコマーシャルを入れる時間をイベントに充てている形ですし、仕方ない部分は多いよねと。2009年の楽しさを知ったからこそ、どうしても見たいオールスター戦は現地に行かなくてはというのを把握したような気がします。

■僕らの夏の影響

 二日間たっぷりと楽しみつつ、B・Bの本気を、プロデュースした色々に乗っかったみんなの本気を見せてもらって、球団マスコットたちの可能性は半端ないんだなぁと言うのを思い切り感じた夏。後日、色々なまとめをプロデュースしたB・B自らコラムにしていて(「【#68】宴のあと(前編)」及び「【#69】宴のあと(後編)」)、それを読むと今でもその当日の熱気を感じますし、「僕達の夏」の思い出は私の中でもとても大きいと感じています。

 当日の写真やコラムを読み返したり、当時はまだほぼほぼリアルタイムで更新できていた光画部などのテキストを読み返すと2009年の札幌での二日間は自分自身の中で相当大きな衝撃。そんな衝撃をうけたフレッシュオールスターゲームとオールスターゲームで体感した、ゆかいな仲間たちの色々をさらにしっかりと伝えていけたら、野球場に行くとこんなにも楽しいみんなが待っているんだよってのを伝えていけたらいいなと当時思ったんですよね。

 光画部をスタートさせてから三年目の夏に「僕らの夏」を体感して、彼ら彼女らの色々をテキストにせよ写真にせよ放送にせよ、「お客さんとしてみんなの楽しいを伝える」ことが自身のライフワークなのかもしれないって感じていました。
 
 
 余談ですが、「僕達の夏」の2年後、東日本大震災の年のオールスター、名古屋から始まり千葉、仙台と抜けていく三連戦でチア大集合(三戦目の仙台はホスト球団3チームのチアのみ)と言う企画は「僕らの夏」を体感したスタッフ陣がチアでも全球団で攻めたいよねってのがあったと聞いています。

 その話を聞いた時、B・Bの「実働部隊が企画して、全員集合した色々は絶対楽しい」と言う「僕らの夏」が与えたお客さんやスタッフ陣に与えた影響って、実は計り知れないんだなぁと思った私でした。
 
 
 次回は2009年以降のお話を書いていきます。

サポートをご検討いただければ幸いです。いただいたサポートはカメラのメンテナンス代などに充てさせていただきますとか書いてますが、実際には設定しよう的に書いてありましたの設定しました程度です。