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2駅分のtell me
忘れられない友だちがいる。
平良さん(仮名)とは、中学3年のときに塾で出会った。何十年も前のことだ。
新学期。わたしはひとり、新しいクラスがはじまるのを廊下で待っていた。友だちを作るのはけっこう得意なほうだったけど、わたしが通っていた塾は隣町の中学の子が主流だったので、いつも、少しだけ気後れしていた。
その日もそうだった。
その上、数学が苦手でクラスが変わってしまったので、同じ中学の仲のよい友だちとも離れてしまっていた。気まずい気持ちと、さびしい気持ちと。こころのなかがごちゃまぜになっていた。
そんなとき、少し間をあけたところに、背が高くて髪の長い女の子が立っていることに気づいた。新しく入った子かもしれない。思わず、話しかけた。
それが、平良さんだった。
平良さんは、2駅先の中学の子だった。今まで通っていた塾とわたしが通っていた塾が合併したので、新学期からこちらに通うことになった、と教えてくれた。
となり同士で座って、授業がはじまるまで話をした。
どんなきっかけでバンドの話になったのかは、今はもう覚えていない。気づいたら、バンドの話で盛り上がっていた。わたしが好きなバンドをいくつかあげたら、平良さんはそのすべてを知っていた。
平良さんは、筋金入りのロック通だった。どんなバンドにも、どんなジャンルにも精通していて、めちゃくちゃ詳しいのに、偉そうなところがまったくなかった。
平良さんには大好きなバンドがあって、小学生のころからライブに通っていたという。今でも活躍するバンドだ。中学に上がる前からホコ天にも行っていたと聞いて、思わず前のめりになる。
そのころわたしが好きだったバンドも、メジャー前にホコ天で活動していた。平良さんは、そのバンドもホコ天で観たことがあるらしい。
そのバンドがメジャーになってからの楽曲より、ホコ天時代のメイクばりばりグラムロックなころが好きだったわたしは、リアルな話が聞けるのが楽しくてしかたなくて、その頃の話をたくさん聞いた。
仲良くなるのに、時間はかからなかった。
塾で会えばバンドの話で盛り上がり、たくさんのバンドを平良さんに教えてもらった。雑誌の切り抜きも交換したし、カセットやCDもたくさん貸してもらった。
一番好きなジャンルと一番好きなバンドは正反対だったけど、なぜか気が合う友だち。それが平良さんだった。
スマホもネットもない時代だったので、手紙のやりとりも結構していた。お互いに話したいことがたくさんあって、便せんにびっしり何枚も何枚も手紙を書いて送り合った。全部、バンドの話だ。
平良さんとバンドの話をしに行く、わたしにとって塾はそんな場所だった。勉強は嫌いではなかったので、塾へ行くのは苦痛ではなかったけど、それでも、平良さんの存在は大きかった。
いくつかの挫折を経て、高校生になった。
くだりの電車に乗っていくつかの駅をすぎると、平良さんが乗ってくる。別の高校だけど、2駅分だけ一緒だった。電車で会えると、中学のころのようにバンドの話で盛り上がったのを思い出す。
平良さんが住んでいる駅へ、電車が滑り込むとき。背が高くて髪が長い平良さんの姿を見つけると、うれしかった。
その頃のわたしは、通っていた高校がどうしても合わなくて、毎日がとても憂鬱だった。
それなりに友だちもいたし、みんな真面目で勉強ができるよい子たちだったけど、どうやらわたしは、高校では異星人だったらしい。「女のくせに海外のパンクとかメタルとか聞いているのはおかしい」、と陰口を叩かれていた。
戦前の話じゃないからね。平成初期の話だからね。
高校では、吃音をバカにされたことも一度や二度ではなかった。中学まではどんなに仲が悪い子にも、吃音についてあれこれ言われることはなかったので、気持ちの持って行き場がなかった。
好きで、吃音に生まれたんじゃない。
自分でもどうしようもないことでバカにされるのは、とても哀しい。
平良さんに、悩みを話したことはなかったと思う。口を開けばバンドの話ばかりで、今思うと、それがどれだけわたしの心を慰めてくれたか。
平良さんとの、2駅分のおしゃべり。そんな日にもついに終わりが来た。高校3年の夏、うちが引っ越しをしたから。
それから、時だけが過ぎていった。いつかまた、平良さんに手紙を出したい、と思いながらも。
平良さんが大好きだったバンドの最愛のメンバーが亡くなったとき、もう一度手紙を書こうとした。でも、どうしても書けなかった。30年近く前の話だ。
平良さんが大好きだったバンドのまた別のメンバーが亡くなったとき、もう一度手紙を書こうとした。でも、どうしても書けなかった。10年前の話だ。
平良さんが大好きだったバンドのまた別の後任メンバーが亡くなったとき、もう一度手紙を書こうとした。でも、どうしても書けなかった。昨年のことだ。
最後に逢った日から、30年以上経つ。手紙を書いたとしても、宛先不明で返ってくる可能性のほうが高い。
でも、いつかまた手紙を書けたらと想いだけは、きっとずっと持ち続けると思う。
その想いがある限り、平良さんと過ごした時間は、わたしのなかでずっと消えない。