トウホクビジン
私には忘れられない馬がいる。
2008年のデビューから2015年1月9日のラストランまでの間、1度だけ放牧をしただけで、163戦も走り続けた馬
トウホクビジン
デビューは2008年9月の盛岡競馬、この当時の馬主は生産者のグランド牧場だったようで、12月に馬主が変わったことで1月に笠松競馬に移籍してから過密なローテーションが始まったようです。
月2回、3回・・・時には月4回も走る時もある出走ローテーション。
我が家のスターリーソングが多くて月2回、大抵が月1回、1年に2~3回お休みのローテーション。
これはちょっと地方競馬の馬としては走らなすぎではあるけども、毎回一生懸命走ってしまうスターリーソングは疲れが溜まりやすく、このペースで無いとパフォーマンスは上げられないと思っている。
スターリーソングの戦績は立派なもの。
それに伴って賞金の金額もそれなりに入る。
だけど、この出走ペースでは預託費や放牧中の費用で、儲かるどころかマイナスです。
馬ファーストで走らせると、こうなってしまう。
月4走、しかも全国の競馬場を馬運車で移動しながらのペースだとしたら、馬にとっては本当に過酷という言葉以上の過酷さだと思う。
それに反して出走手当や、重賞だと特別手当がつくので、掲示板に載らなくても、走りさえすれば馬主はそういった手当が入る。
走れば走るほど馬の負担は増し、オーナーの収入は上がる事になる。
トウホクビジンを知ったのは、彼女の競走馬時代の後半だと思う。
結婚をして、旦那の競馬観戦に一緒に行くようになって、地方競馬の交流重賞を見に行くようになり、中央の馬と一緒に走る彼女の名前を頻繁に見かけるようになったから。
彼女の背景を知り、可哀想との思いがあって追いかけるようになったものの、そんな過酷なローテーションを組まれているのにも関わらず、毎回頑張って健闘している彼女の走りに心を打たれたからだ。
ラストランになった2015年1月9日の白銀争覇で引退と知って、急遽有休をとって車で笠松競馬場まで行った。
引退式なるものなどはなく、競馬場の好意だったのか
レース後に佐藤友則騎手を背に乗せて、厩務員さんにひかれながら観客の居るフェンスの横を堂々と歩いて去って行ったトウホクビジン
佐藤友則騎手はトウホクビジンの背で泣いていた。
大勢のファンも追いかけて泣いていた。
私も涙が出た。
トウホクビジンの走る姿を見られなくなる喪失感と・・
今までの沢山の感動をありがとうの思いと・・
過酷な競走馬生活を無事終える事が出来てホットした思いと・・
次は何処に行くのか、という不安の・・・
全てが入り混じった涙だった。
帰路の車の中での旦那との会話も、トウホクビジンの行く先の心配ばかりだった。
「人気のある馬だから大丈夫だ」との旦那の言葉だけが唯一、私の心配の慰めだった。
それからほどなくして、ビッグレッドファームで繁殖牝馬になることが発表され、先ずは良かったとホッとしたことを覚えている。
トウホクビジンは2016年にユノートルベルという女の子を産んだのを始めにマイネルコロンブス、マイネルシデン、スタニング、シラカワノセキの5頭のお母さんになったが、2021年6月10日に15歳でこの世を去った。
突然の訃報だった。
人のために過酷に駆け抜けた馬生だったと思う。
そして、産駒を見てみると、マイネルコロンブスとシラカワノセキが現役でいる他は亡くなったり、行方がはっきりしない子ばかり。
現役を続けている2頭の行く先も心配だ。
私にもっと財力が有れば・・・。
毎回、毎回、こうした事があるたびに自分の無力さを思い知る。
情けない。
我が家にはすでに引退馬のメジャーアスリートと園田で走っているスターリーソングが居る。
それでも何かをしないと、沢山の感動をくれたトウホクビジンにお礼が出来ていない。
メジャーアスリートがスターリーソングを繋ぎ、この2頭がシラカワノセキを私の手に届くところに繋いできた。
とりあえず・・・動きます。
トウホクビジン
これで少し安心してくれますか。
天国で喜んでくれますか。