スターリーソングとシラカワノセキ
6月27日、我が家の競走馬2頭がレースに出ました。
園田競馬でスターリーソングが、名古屋競馬でシラカワノセキがそれぞれ出走しました。
我が家には2頭しか競走馬がいないのに、同じ日の出走になるとは驚きです。シラカワノセキは1レース4番、スターリーソングは4レース1番と、これもまた面白いシンクロでした。
結果はスターリーソングが3着、シラカワノセキが初優勝と、両馬とも素晴らしい結果を残してくれました。
スターリーソングは、3年前にオークションで落札した際には、メジャーアスリートと同じバジガクさんに預託しようと考えていました。ただ、まだ3歳だったスターリーソングをレースで走らせてみたい、一度くらいは1着を取らせてあげたいという気持ちがあり、園田競馬に預託することにしました。
競走馬としての目的で落札したわけではないので、果たしてやっていけるのか、走れるのか心配しながら初戦を見に行ったことを思い出します。
夫とも、全く良いところがない状態で何ヶ月もレースをしているようなら可哀想だから引退させようと話していました。
初戦のレース結果は4着でしたが、先頭で最後の直線まで走り、レースが流れたため、好位にいた人気馬が総崩れになり、スターリーソングが4着に粘ったのを見て、「大丈夫、やっていける」との実感を持ちました。
現在、スターリーソングは5勝をあげており、まだ勝ち星を重ねてくれるのではないかと期待しています。しかし、スターリーソングも既に6歳、来年7歳になるので、体調次第で次のステージに進ませる予定です。
そして、今年5月に不思議な縁で我が家の一員となったシラカワノセキ。
私の大好きだったトウホクビジンの最後の産駒です。
トウホクビジンは5頭の産駒を残して亡くなりました。
シラカワノセキ以外の産駒4頭のうち、マイネルコロンブスは今も中央競馬で走っていますが、残りの産駒は中央競馬では1勝もできず、いずれも地方競馬へ転籍しました。
最初の産駒のユノートルベルは地方で約2,000万円を稼ぎましたが、現在の所在は不明です。
3番目のマイネルシデンは園田競馬で走っていましたが、結局1勝もあげられず、現在の行方はわかっていません。
4番目のスタニングは地方で1勝をあげましたが、レース中の事故で予後不良となりました。
最後の産駒のシラカワノセキは中央で3戦走りましたが、いずれも振るわない戦績で、3戦目を走った4月末には「多分もうそろそろオークションに出されるだろう」と夫が言っていました。
私は引き取りたい思いがあったものの、馬を最後まで面倒を見るという事がとても大変で、我が家にはすでにメジャーアスリートとスターリーソングが居る中、もう1頭を・・と考えると引き取りを積極的に考えることが出来ないでいました。
馬の事を優先に考えてくれるオーナーにオークションで落札してもらいたいとスタニングの時にも思って見守っていました。
そんな心配をしていた矢先、私たちはシラカワノセキの「登録抹消」をネットで知り、これがまた不思議な経緯で我が家に来ることになりました。
最後の最後まで悩みましたが、バジガクの野口代表のお力添えもあり、決断をしました。
あのトウホクビジンの最後の仔を我が家の家族として迎えることになった事は、未だに感慨深いものがあります。
この子も当初、競走を続けさせるか迷っていましたが、名古屋で走らせることにしました。
名古屋競馬を選んだ理由はが、スターリーソングが居る園田の馬場には向いていないように思えたからです。
スターリーソングは先行馬で、先行有利の園田競馬に適していましたが、シラカワノセキは中央の3戦しか見ていないものの、先行馬ではないだろうと、夫が最終的に差しも決まる名古屋競馬が良いだろうと提案し、名古屋の厩舎を探すことにしました。
スターリーソングを預託している高馬調教師に紹介していただき、名古屋の宇都厩舎に預託することになりました。
結果、2戦しか走っていませんが、名古屋で適性がある様子を見ることが出来て、夫は「自分の判断が良かった」と自画自賛しています。
スターリーソングは中央時代に一度門別で走り、3着の成績を残していたため、血統的にもダート適性はある程度はあると考えていましたが、シラカワノセキの方は父の血統的にも地方のダート適性に不安が大きく、初戦の3着は優勝したのと同じくらい嬉しい結果でした。2戦目の優勝は、見ていた私が舞い上がるほど喜ばしい結果でした。
両馬とも2戦目に勝利をプレゼントしてくれて、最初は競走馬を続けさせるか迷っていたくらいなのに、本当にありがたいことだと思います。
馬自身に聞くことはできませんが、競走馬を続けさせて良かったと思っています。スターリーソングやシラカワノセキの走る姿を見ることは、我が家の楽しみの一つです。
怪我に気を付けて、馬の体調優先で競走を続けてもらおうと思っています。