見出し画像

奥信濃への道 第2走:川の流れのように

久しぶりに走る隅田川沿いの遊歩道は、オシャレを気取った間接照明よろしくぼんやりと常夜灯のように相変わらず暗く、足元を照らすには心もとない。
目の前には何個にも重なった川にかかる橋が俗にいう”けばい”とでも表現するのだろうか蛍光色に照らされて、江戸から続く風情のある川に架かるにはミスマッチな様相を呈していた。

私の家からほど近い永代橋の袂から遊歩道に降りるのだが、例に漏れずこの永代橋も神々しく青色に光っている、ブラックライトかよ。
この永代橋、老朽化により廃橋の目にあいながらも維持管理費を町方が補うことで継続して隅田川に架かっていたものの、文化4年の深川富岡八幡宮大祭に合わせ雨で延期になったのも手伝ってか、気の短い江戸っ子が大挙して押し寄せた。その結果、群衆が渡橋をした際に重みに耐えられず崩落したが、大惨事に気づかない江戸っ子は更に押し寄せ将棋倒しにより溺死者を大量に出してしまうという悲劇の橋だ、しかし今ではブラックライトである。
御三家卿一橋家の当主徳川治斉も今の姿を見たら卒倒するのではなかろうか。

ミスマッチと言えば何重にも連なるビルの向こうにそびえるスカイツリーと来たら今でこそ目にも慣れたものだが、初見の頃は出来の悪い特撮合成映像でも見せられているのかという違和感があった、しかし今では東京を象徴するランドマークとして見慣れたものだ。人間の順応性というのは素晴らしいものがあると感心せずにいられない。
松尾芭蕉が隅田川にスカイツリーの眺めても順応して一句謳うであろうか。

そんな隅田川を遡上しアサヒビールの例のオブジェを横目に「好きです!つぼ八」の看板を見ながら吾妻橋を西に渡り対岸で南下する。
当時は2文の通行料を徴収されていたらしいが、今は徴収者の姿は無いのでキセル渡橋。

風向きが変わり風切り音の中、骨を伝って音楽を流すという30年前の自分ならそのSF感に心奪われるイヤホンからは良いbpmの音楽が流れてくる、自分のピッチより少しテンポが早いのは無慈悲だなと自分の中でプレイリストを腐す。
併せて足を速く回すと乳酸が回る感覚が足を包む、嫌な感じではあるのだが今の自分の脚力を見せつけられている様で言い訳がましくもなってくる。

新大橋が見えてきた。歌川広重の名所江戸百景の中で描かれた新大橋の浮世絵をゴッホが模写したという数奇なエピソードであるのは広く知られている。
この新大橋、関東大震災の際に逃げ出した1万人にも上る被災者が橋の上に避難して難を逃れたという話、こちらも有名な逸話だが永代橋と違い崩落しなかったというのは時代は違えど対照的である。だが煌々とグリーンに光る令和の新大橋の姿はゴッホが見たらどう思うのだろうか。

川に逆らい川に流れて12㎞を60分、今の私にはちょうど良い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?