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つらつら
とある帰りの車で
紅白歌合戦の司会が発表された夜。
中島みゆき、吉田拓郎、はっぴいえんどetc...
1970年代のフォークソングや日本語ロックの萌芽をBGMに、
相変わらず時代錯誤甚だしい父が「今の人たちは、本当に可哀想、こういう本質的な音楽を体感せず、ましてや、知らないんだろうなぁ」って、満点回答を出すのだから、呆れた。
「まぁ、そうだねぇ。少なくとも、それを死ぬまでに、まだ認知できてる自分はしあわせだよねぇ」と、あーあー、9割同意してません、ただし、一理あるかもねの意味もこめた返事をした。
そんな父の影響で、逆張りといわれてもしょうがないが、時代の流れに逆行して、ギターの音が、とても耳ざわりのいい心地よい音として認識してしまった。
そして、そんな僕が、ライブに行った。
毎年参戦するONE OK ROCKのライブすら行ってない今年、ライブに行った。
2024年になって初めてライブに行った。
2024年になって初めてカネコアヤノのライブに行った。
2024年になって念願のカネコアヤノにあってきた。
場所は、横浜みなとみらい
大さん橋ふ頭にある、「大さん橋ホール」
自分の知的怠慢。存じ上げないハコだ…
実際、客船旅行に大さん橋ふ頭に行った人に案内してもらったが、
その人さえ、あそこにホールなんてある?ってほどだから
ニッチすぎる場所だった。
時間は、開場は18時、開演は19時
言わずもがな、寒い。12月の下旬。真冬のこの時期の夜。
帰りも終電とかになりそう。
てか、横浜からだと、新横浜の乗り換えで時間食うね。
いや、寒すぎて、考える気力すらなくなっていた
大さん橋とは、桟橋のことであり、そう、船着き場であり、
その構造上、3方向は海である。クリスマスの前だから、
北をみれば、赤レンガ倉庫に、観覧車が、
南を見れば、山下公園が
桟橋の向こうには、横浜のベイブリッジが、
「どう~?おしゃれで素敵でしょ?田舎者に横浜憧れさせちゃうの、私たちのせいかなぁ~?」と
赤、緑、黄色、青、紫の色とりどりのイルミネーションが隣で映る君の瞳をキラキラと照りつけていた。って言わせたいんだね。
さすが、日本でも5指に入るデートスポット。
はぁ~って吐息の白ささえ、抜かりなく、幻想的に見せてきそうだから、
ため息つくのすらやめて、しずかに開演を待った。
18時45分、着席
おそらく、キャパは1,000人程度、
客層は、大学生から、社会人、カップル、子連れのファミリー、主婦の方まで、ほぼ割合が変わらない感じであった。
ただ、やはり、ロックバンドのライブと違って、非常に落ち着いている。
そして、なにかおしゃれであるんだが、キラキラとは違う。
聴いているアーティストで服装って決まるよなぁって改めて思った。
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19時過ぎ、あたりの照明が暗くなり、開演の幕が開かれた。
ギターが複数立てかけられているステージに、上手から一人の女性が現れた。
「カネコアヤノだ。」
中は静かすぎて、心の叫びが、本人にも聞こえてしまいそう。
ステージに置かれていたギターも、さっきとは打って変わって
早く音を奏でたいと意思を持った生き物のように見えてきた。
ほのかな光の先
カネコアヤノにとって光とは、魅力であり、分身である
それは、スターといったきらびやかなものでも、
命を削りながら発光しているのともまた違う。
日常にありふれていて、あちらこちらで目にする。
なんとなく、おぼろげで、やさしい。
暗さがあって初めて思い出すほどの、淡い光明のような
明かりが、カネコアヤノを輝かせる。
カネコアヤノを引き立たせる一番の照明は暗闇なのかもしれない。
会場のライトが消えて、まるで寝静まった家のようになってから、
ステージ中央から、
じんわりとしっかりして、それでいてふわぁふわぁしている、
カネコアヤノの歌声を光にしたよ。というような
あったかい光が会場を照らすのではなく、包んでいた。
ときには、ピンスポでカネコアヤノが神々しく見れることもあれば、
光のセーターが会場全体を覆うことも。
ー 大さん橋ホールなんて、聴いたことすらない会場。
この演奏に、あのイルミネーションのような目を奪われるようなキラキラな演出は似合わない。この弾き語りワンマンショーの会場を使いこなせるのは、この照明でなければだめだったのだ。
公式のSNSで防寒対策を忘れずに、と告知されるほど
会場はとてもさむかったが、アコギの音色と照明だけで、
なんだが、ここだけ小春日和のような気分でうたた寝を誘ってくる。
ー 12月下旬の19時に開演なんて寒すぎるけど、
クリスマスや年末の賑わい、ましてや今年1年間の徒労から離れて、
ただひっそりと、そしてしみじみ、
彼女のかき鳴らすギターと歌声を味わうことに集中できる
とっておきの時間帯だった
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『音楽ばかりやっていた人生だったな』
「あ、これだと、死ぬ間際みたいですね笑。音楽ばかりやっている人生です笑。いいライブ納めになりました。それでは良いお年を。」と口にしてから、こちらに一礼したあと、すたすた、すたすた、と一人の少女のように、消えていった。
すぐさま、駅に向かって走り出したから、余韻は、その分を繰越しで。
今、余韻に浸り続けている。
遠くの席でみれなかったけど、前列のほうで見た人からは、
いつものごとく、裸足だったらしいのも知った。
ああそうだった。
むしろ、1曲目のイントロが流れてきたときには、
思い知らされていたのに。
そこからは圧倒的されているのに、包容もされてしまっていたから
そのことすら忘れてしまっていた。
父にとっての中島みゆきの存在。
私にとってのカネコアヤノ。
繊細な心情を、こんなにも力強く表現する。
それでもワンオクのような、アンセムやシンガロングはないけれど。
子どもの頃、カーテンにくるまったときのように、
彼女の曲に包まれると、心がぽかぽかする。
そしてなにより、ただただ、明日も生きていこうと思わせてくれる。
2018年に「アーケード」を聞いて、
早くこの人のチケットをくれ!と思った衝撃を受けてからはや6年。
当時は、能天気に、カネコアヤノにいつか会えると思っていた。
だけれども、上京したては、そんな余裕はない、
やっと慣れたと思えば、コロナで、自分は地元に戻った。
今は、その人聞いているの?センス良いね!みたいな立ち位置だけど
当時は、誰?みたいな感じになるから、言うこともしなかった。
今月の注目曲で流れたのを除けば、佐久間さんのラジオくらいでしか、
カネコアヤノの曲が流れた記憶がない。
それくらい、秘密で大好きな、カネコアヤノ。
クリスマス前の12月の寒い夜。
終電で帰れるか不安な知らない会場。
近くにはキラキラ、恋人たちの素敵な場所。
そして、一人。
7年越しの夢を叶えたにしては、
ドラマチックさは欠けるのかもしれないけども、
そういう縁なのだと。
今思えば、最初の曲から、涙腺が馬鹿になってしまっていたな
アーティストの素晴らしい演奏と歌唱力と、
やっと出会えたって感動がまとまって、
涙腺を刺激するものだから、
感情もぐっちゃぐちゃになってしまった
でも、そこからは、首を振って、楽しんでいた。
そうか、
これが等身大の自分だったなと。
見栄ばっかり張っていた人生だったな
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