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どうにもならない自分の絵のクセ

X(旧Twitter)のタイムラインには、いろんな人がリポストした美麗な絵が流れてきます。
流行の漫画のキャラクターに登場する美少女、美少年。
それが、原作よりもさらに美しい感じにイラスト化されて、なんと無料でタイムラインに流れてくるわけです。
ああ、眼福、眼福、と思いながら、自分もリポストしているわけですが。

俺もこういう絵が描きたいと。
そう思って、日々、トレーニングしているわけです。
休憩時間の三十分間、漫画を隅から隅まで丸写しにしたり。
背景の練習したり、筋肉のつき方を勉強したり。

それでも、俺の絵は、ああはならないわけです。

「なぜ、おではああじゃない。おでは綺麗じゃない…!」
と地下洞窟から、現生人類を眺めるネアンデルタール人になった気分です。

そう、俺は、絵に関しては、それほど美しい、カッコつけたものなんて描けないのかもしれない。なんとなく、気がつき始めています。


上記が、ここ数日に描いた絵です。
頑張って描きました。
ですが、ネットでもてはやされているような、美しい絵ではない。

がさつな、不器用な、いわゆる「味のある素人の絵」です。
それを否定したくて、漫画を模写しています。そして、多分、死ぬまで模写し続けるでしょう。

しかし、一方で、このがさつな感じを伸ばしていければ、それでいいのではないかと、最近思いつつあります。

そう思うようになったきっかけは。
図書館で息子たちのために借りた「みずくみに(飯野和好)」という絵本でした。表紙を見た時「あ、この人、文庫版遠野物語の表紙を描いていた人だ」とピンときました。

荒々しいタッチ。でかい顔。ネットでよく見る美麗な絵ではありません。
ですが、息子たちはその絵に惹きつけられてしまったようでした。夢中で、何度も読み聞かせをせがんできたのです。

ああ、そうか、わかったぞ。

子供達にとって、デッサンの狂いとか、パースだとか、色の調和だとか、そんなのはどうでもいいんだと。
面白ければ、多分、それでいいんです。

飯野和好さんの本を頻繁に借りるようになって、その思いは強くなっていきました。
ああ、俺も飯野さんのように生きよう、と。

もちろん、これからも漫画模写は続けます。模写しなければ、絵は上手くなりませんから。

でも、同時に自分の絵も描こうと、そう思いました。流行を追いかけるだけでは、苦しすぎる。技術なんて捨てて、好きなように描こう。好きなように描いて、それでいて評価される何かを、俺は身につけていきたいです。

そのためには、なおのこと、修練が必要でしょう。
しばらくは、また地下に潜って努力を続けます。

これからもよろしくお願いいたします。

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