ごめん、しんどい。
あまりにも辛辣なタイトルなので、せめて表紙だけは癒やされるものを、と思い、かわいいイラストを借りることにした。
そのくらい、今の私は、人生最大に、辛くて、孤独で、しんどい。
まるで、深い森の中に迷い込んでしまったみたいに。
深海の中に吸い込まれていくみたいに。
ただ、息をして、死んでいくなにかのように、自分の毎日を孤独に感じている。
どうしてそんなにしんどいのかというと、実は今、人生で初めての妊娠を経験しているからだ。
“妊娠自体は、とても嬉しいことで、誰しも喜ばれること。”
実際私もそう思っていた。妊娠が発覚したときはものすごく嬉しかったし、やった!お母さんになれるんだって、わが子のことはとてつもなく愛おしく感じた。
……なのに、どうして今、こんなにしんどいのか。
妊娠がわかってから早い段階(6週目ほど)で、尿検査でケトン体というものが出ていることがわかった。ケトン体は、栄養が外からとれない場合に体内の栄養分を代わりに消費しようとするもので、これが1〜3の段階で尿検査に出てしまうと、妊婦の中でも特につわりが辛いといわれる「妊娠悪阻」と呼ばれる病気の状態になる。
わたしはこれが、最もひどいとよばれる3+となり、妊娠6週目の段階から即入院・点滴となった。(これが2月中盤くらいの話)
自分でも「ご飯が食べれないな」と思ってはいたが、入院するほどひどいものだとは思わず、ただ、この頃はまだ、人生で初めての入院というものに少しワクワクもしているくらいの余裕が自分の中にあった。
……そう、この時までは。
実際の入院は、「24時間点滴」というもので、起きているときはもちろん、寝ているときも腕に点滴をしたまま過ごさなければならない。生まれてこの方「The 健康体」で育った私は、これがいかに辛いものなのか、想像もしていなかった。
24時間点滴をつけたままでは、うまく箸を使うことも、メールを返すこともできない(この頃はよく電話に切り替えてもらって話をしていた)。
入院中やることがないからと買ったSwitchも、仕事ができると思って持ち込んだパソコンや、暇つぶしに買った本さえも、結局、一度も手に取ることはなかった。
それに加え、私は人の何倍も、血管の線が細いらしく、看護師さんによっては何度も指し直しになる。(これは仕方ないことなのだが)
また、少し位置がズレるだけで点滴がとまり、血が逆流してしまうので、手は常に動かせずにそのままの状態でいるため、1日もたてば筋肉痛になってしまうのも辛かった。さらには寝ている間も点滴がなくなると、腕に激痛が走るため、いつ点滴がなくなるのかと不安でゆっくり眠ることもできない。(そうならないようにナースコールや看護師さんの見回りがあるが、予想以上にはやく点滴がなくなることもあり、起きていないと恐怖だった。)
さらに辛かったのはトイレの回数。普段7回ほど行くトイレが、24時間点滴は15〜20回に増える。30分、1時間おきにトイレに行くのは、実はこれも結構なストレスで、「仕方ない」とわかっていても、夜中も何度もトイレにいくために起きるのは、本当に苦痛だった。
入院が、点滴が、これほど辛いものだと思わなかった私を、もうひとつ襲ったストレスが、巷をこれだけ騒がしている「新型コロナウイルス」の現状だ。
私が入院した2月中旬は、今住んでいる宮崎でも1日10数人〜は報道されるほどの流行具合で、その危機的状況は、妊婦である私にも迫っていた。
入院直後から38度超えの発熱。PCR検査は受けていたのに、濃厚接触者にあたる夫も、外出禁止になった。そこからあれよあれよというまに39度を超える熱が出て、ほぼ一睡もできない状態のまま朝を迎えた。
頭が痛い。意識がぼーっとする。もはや、点滴の痛みなどはどうでもいいくらいに、体全身がダルかった。
「解熱剤などは使えません。自力で治すしかないです。」
まだ38度の熱の中、お医者さんにそう言われた。妊娠初期の段階では、新型コロナウイルスの薬を使うことができないのだそうだ。いやはや予想外。ここにもストレスがあったとは知らなかったけれど、この時はただただ、赤ちゃんのことが心配だった。
そして同時に、これまで一度も、インフルエンザやコロナなどといった感染症にかかったことがなかった自分が、ここまで免疫がなくなり、病気に対抗できなくなっているのかということを痛感し、驚いた。
のちに、PCR検査を2回行い、私は結局コロナではないという判断だったのだけれど、この日を堺に、コロナはもちろん、風邪や感染症などの病気により一層敏感になった。(家に即空気洗浄機を置き、アルコール消毒を持ち歩くようになった)
これまで、病気になれば薬で治すのが当たり前だった自分にとって、この「どんなにつらい状況になっても薬で治すことが出来ない」現実は、予想以上のストレスと恐怖で、今も外に長時間出ることや人に会うことには敏感になってしまう自分がいる。
また、この入院を機に「辛くなったら入院すればいい」という考えも、なくなった。もちろん、入院自体は安全なことだし、必要ならばするべきことだと思う。(今も先生に入院の必要があるといわれれば、もちろんそれには従う方針だ)
ただ、正直、コロナの関係で誰とも面会もできず、外にも出られず、一日中狭いベットの中で過ごすことも、つわりで何が食べられるのかわからない状況で出てくる病院食や、24時間の自由が奪われる点滴にも、ストレスを感じてしまうのが本当のところで、病院だから安心とか、ゆっくり寝れるとか、私の場合、そんな要素はどこにもなかった。
だからこそ「辛いから入院すれば大丈夫」という考えは、今の自分には残っていない。ただ、ただ、このストレスと感情の起伏に耐えるので、今は精一杯なのだ。誰も、責めないでほしい。
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……私がこのことをnoteに書きたかったのは、別に今しんどいことを誰かに励ましてほしい!とか、しんどいのをわかってほしい!とか、そういう意味ではない。
…ただ、もう限界だった。このストレスと不安を、自分の中に溜め込んでおくことに、限界だったのだ。
中学の頃、学校の友達とうまくいかなくて悩んでいた私を救ってくれたのは、毎日秘密で書いていた某SNSの投稿だった。
高校の時、自分の存在価値がわからなくなった私を救ってくれたのは、その投稿を読んでくれたインターネットのお友達がいることだった。
自宅のベットの中で、「もし、今死んでしまったら、この苦しみは、誰にも届けられないまま死んでしまうのか」と思ったら、自己満足でもなんでもいいから、もう抱えきれないこの不安を外に出してしまいたかった。
…このnoteを書いた理由は、ただ、それだけなのだ。
でも、ここまで読むと、私の身近に「誰か助けてくれる人はいないのか!」と思う人もいるだろう。勘違いしないでほしいのは、実家の両親も旦那さんも、やることはちゃんとやってくれているし、誰も悪くない。私は自分も誰にも責めてほしくないし、周りの人のことも誰にも責めてほしくない。
……でも、今の私は、残念ながら、ここから100キロ以上離れた遠い実家に帰るほどの体力はないし、いつもご飯をつくってくれたり、家のことを甲斐甲斐しく手伝ってくれる旦那さんに、「いつもありがとう」というのも精一杯な状態で、ただただ、「息をして、生きること」に必死な毎日を過ごしている。
当たり前にできていた日常が、こんなにも困難になること。いつ終わるかわからないつわりと戦う不安の中で、「幸せそうな妊婦さん」のイメージを抱いていた私からすれば、自分の今の状態はボロボロに近い。
それでも、妊婦健診で、元気に育つ赤ちゃんを見るのは嬉しいし、はやく会いたいなとも思う。ただ、知ってほしいのは、各SNSにあふれる「幸せな妊婦さん」の裏で、こんなに悲痛な叫びを綴ってしまう妊娠悪阻の妊婦さんもいるということだ。
「仕事ができるのが当たり前」「妊婦でも家事をしろ」「つわりは病気じゃない」という人達に言いたい。……それなら、代わってくれ。
つわりは人によって症状の酷さも感じ方も違う。だから、「つわりとは、こんな状態だ」と決めつけないでほしい。実際にはもっと孤独で、もっと不確定ないろんな不安要素を抱えている。
それでも、お腹の中でひとつの命を、必死に育てていることに、ただただ、「花マル」がほしいのだ。
今の私の存在価値は、本当にそのくらいしかないけれど。赤ちゃんがいるから、頑張れるのもまた、母親という存在なのだろう。
これに続く物語(〜感情コントロールがうまく効かない編〜)まだあるのだけれど、今日はこの辺で。
最後まで読んでくれて、ありがとう。
あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。