【肩書き】 #529
「ヤッさん元気かい?」
「ああ山田くんかぁ
元気元気」
「ヤッさん
ごめんやけど
今日も一日一緒に過ごさせてくれないですか?
それからこれ
これこの前頼まれてたお土産」
「おっ
ありがとよ
オラァ山田くんだったら
一日でも二日でも大丈夫大丈夫」
「ありがとうございます
助かります」
ヤッさんは
慶応卒の元商社マン
ギャンブルと離婚が原因で
気が付いたら路上生活者になっていたらしい
本人談ではそういう事になっている
本当にそうなのかどうなのかは
別に構わない
現実としてあるのは
ヤッさんが今この場所で
生活をしているという事だ
もう1人のヤスシ
彼は現在アルバイトをしながら
バンド活動をしている
ロン毛で革ジャンを着て
ピタピタのブラックデニムを履いている
以前何をしていたのか
本人は語ってくれない
本人曰く
『今日のオレが全て』
だそうで
未来の話もしない
『20年後
いや
1年後でもいい
どうなってるかなんて
話したってなるようにしか
ならねぇ』
だそうだ
路上のヤッさんは
何でもベラベラ喋ってくれる
「あの姉ちゃんいてるだろ
あそこのホラッ」
「ああ
あの女の人ですか?」
「そうそう
あの子だってホームレスだぞ
まぁオレみたいにゴミあさったりは
しないけどよ」
「そうなんですね」
こういう風に色々と情報も教えてくれる
直接紹介なんかもしてくれる
とてもありがたい存在だ
ギャンブルはまだしているの?
と聞いたら
それはもうやって無いそうだ
ヤッさんの話はいつも
どこからどこまで
本当なのか嘘なのか
分かりにくい
それから
1週間後の事である
ヤスシはライブがあり
その後打ち上げを終え
メンバーと別れて
ちょうど角を曲がったところで
刺された
ひと気のほぼ無いトンネルの入口
その場で倒れ込むヤスシ
果物ナイフを持って呆然とする女の子
変な音がしてヤツさんは目が覚めた
トンネルの入口を見ると
いつものあの女の子が立っていて
その前にへたり込んでいる影がある
ヤッさんは急いで
その場に駆け付けた
「あっ
おじさん」
「うあっ
えらい事したなぁ」
「私
人殺しになっちゃった」
「いや
まだ死んだかどうか分からん
ここはおじさんに任せなさい
さぁ
そんな危ない物
こっちに渡しなさい」
「でもぉ…」
「でもじゃ無い
危ないから
それに警察が来たらどうするんだ
もう良いから
それをおじさんに渡して
帰りなさい」
そこにはいつもの
ヘラヘラニコニコなヤッさんの姿は無かった
女の子はヤツさんの勢いに押されて
血の付いた果物ナイフを渡し
その場を後にした
「ニィちゃん聞こえるか?」
「うっううぅ」
「生きてるな
よっしゃ
そしたらすまないが
おじさんは電話持ってないから
ニィちゃんのを借りるよ」
そう言って
ヤスシの後ろポケットのスマートフォンを取り出した
だいたいの男は後ろポケットに携帯電話がある
「なんだ
これは面倒臭いなぁ
確か指認証があれば良いヤツかな」
そう言って
ヤスシの指を順番に
ホームボタンに触れさせた
左手の人差し指で画面が変わった
「よしよし
うまく行ったぞ
ニィちゃん
もうちょっとの辛抱だ」
ヤツさんは
救急車を呼んで
その後警察へも電話した
「あのすいません
私
人を刺しちまって
ええ
はい
ここに居てます
はい
救急車はもう呼んでいます
はい
死んではいません
はい
お願いします」
けたたましいサイレンがなる前に
ヤッさんはヤスシに言った
「ニィちゃん
ここでオレに突然刺されたと言えよ
女の子の事は言うなよ」
ヤスシは救急車で運ばれて行った
ヤッさんの方は警察へと連行された
動機については
以前ロック系の若者に
理由も無く袋叩きをされた事があって
今夜
たまたま
あの若者が現れたんで
また襲われると思い
怖くなり
刺してしまった
そう供述した
ヤスシは別の警察官に
病院で話を聞かれたので
あのジィさんが言ったように
突然ジィさんに刺されたと
話した
ヤスシの傷はそう深く無かったので
命には何の問題も無かった
警察の判断は
刺された若者は軽傷で
刺した男性も
正直に話したし
社会的弱者である部分も考慮して
刑事事件で起訴はせず
帰すことになった
ヤッさんは
ヘラヘラニコニコで
お喋りな人だけれども
この話だけはしなかった
あの日以来
女の子の姿は新宿から消えた
ヤスシはバンドを頑張ったが
目が出ず
今後の事もあったので
休学していた
慶應大学に復学した
数年後
ヤッさんも路上から消えた
別に死んだわけでは無い
どんどん路上生活が困難になり
一旦施設に入所し
今は生活保護を受けながら
アパートで暮らしている
ヤスシは無事に
大学を卒業し
今は商社マンとなった
20数年後
ギャンブルと離婚が原因で
路上生活になる事を
まだこの時は知らない
ほな!