【闇の書】
これはあくまでも個人的なとても偏った考えのもと書かれた文章である。
人間はそもそも悪人である。
闇の中から生まれ、最初に泣き喚く。
泣くのだ。
決して笑って生まれてこない。
不安で仕方がないのだと思う。
そして両親に育てられながら徐々に喜びや楽しみなどの感情も知り学び形成される。
しかし根底にあるのは、怒りや苦しみや悲しみなどの闇があっての感情。
宇宙を想像してみて下さい。
人間も宇宙の一部です。
暗闇の中に星は瞬く。
決してその逆ではない。
しかも最近ではダークマターと呼ばれる、宇宙を構成するのにとても大切な存在も確認された。
人間も宇宙の一部。
子供から大人になるにつれて、教育され人を虐めてはいけない。
殴ってはいけない。
悪口も言ってはいけない。
社会に反することもしてはいけない。
その代わりに良い行いをすれば褒められる。
なぜ褒められる。
それは人間は悪いことの方が簡単にしやすく、良い行いは無理をしないと出来ないからだ。
仲間内で悪口を言っている時はとても連帯感が生まれ、話しているとスッキリしたりもする。
きっとその方が人間として正常なのだろう。
良い行いは太鼓の昔、紀元前3000年前か4000年前くらいにできた感情というのが起源になると考える。
次第に狩猟採集社会から農耕へと人間の生活が変わり始めた。
それまでは、動物や実りに合わせて土地を持たず遊牧していた。
農業を始めて土地が必要になった。
自分の土地を持ってその場所を拡大して行く時にたくさんの働き手が必要になってくる。
権力者はそれらの人間に従わせるために良い行いという物を生み出した。
あくまでも権力者に都合の良い善行だ。
しかしそれができ、従うに従って多くの人間は疑いもなく良い行いをする努力をし始めた。
しかし元々闇の感情が必要な人間は良い行いをするのに苦労する。
そして生まれたのが宗教だった。
そこまで無理をしないと人間は良い行いができない。
そうかと思うと誰も進んでやりなさいと言わない悪い感情はほっといても出てきてしまう。
それが本当の人間だからなのだ。
でもよくよく考えると良い行いのせいで闇の感情は悪者にされている。
本当に闇の感情イコール悪なのだろうか。
それであればなぜ今も世界のどこかで戦争や紛争が絶えないのか。
正しいと正当化して。。。
ひょっとしたら良い行いが悪なのかもしれない。
良い行いが禁止の世の中が生まれたらどんな社会になるのかしら?
多分、そんなに変わらない気がする。
殺すほどの怒りになる前にその相手と言い合いになる程度で済む場合が多いのではないだろうか。
陰口も表口になるだけで言った方はスッキリするし、言われた方もどこかで言えば良い。
そもそもヘブライ人がそこに居た野生の豚や馬やヤギを家畜にし、そこら辺に生えていた麦を生産し、保存したことで大きな権力が生まれた。
そしてその勢力を伸ばすべく、同じ緯度で勢力を広げそこに住んでいた人間は取り込まれ、労働者として支配した。
その支配の中で良い行いの強制が始まったと考えている。
同時多発的に他の地域でも農耕は始まったようだが、人間の言うことを聞く家畜がおらず、生産しても栄養価が低く保存が効かないものばかりだったので、ヘブライ人ほどの勢力は持つことは出来なかった。
ヘブライ人には12のグループがあったようでその多くはアジア方面へと流れていった。
そしてその最終地点が日本だったわけである。
19万人のヘブライ人が流入したようです。
その中でも後年力を持ったのは京都の秦一族である。
太秦にある十善戒寺には聖徳太子が建立したとされるが、秦氏が立てたのであろう。
その証拠にモーセの十戒とほぼ同じことが書いてある。
十戒
まさしく支配しようとする人間が良い行いという鎖で人間を支配する為の文章である。
守らなければ罰せられる。
こうして人間は一部の支配者以外は闇を活用することに制限をかけられてしまったのだ。
あくまでもこれは個人的な考えに基づいて書かれた文章であるので、ふぅ〜んくらいで受け流してもらえるとありがたいです。
ほな!