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『求道のマルメーレ』#7 第三編 全神会議(二)

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第三編 全神会議(二)

 鋼は、姿勢を正したまま直立し続けていた。はきはきとした声が邪魔のない空間によく通る。
「掟を破り、全神会議を軽視していると思われても仕方のない行動をした。そのことに対する罰則に反発する意図はございません。しかし皆さまには是非、ゴーストが理性と知能を持っていたという事実を重く受け止め、今後の対応を審議して頂くようお願い申し上げます。以上です。」
 鋼が証言台から一歩下がるのと同時に、上座からいくつか、唸ったり笑ったりするようなため息が聞こえた。一礼した鋼のまなざしが挑戦的にみなぎる。
「証言に感謝する。これより十分間の休廷に入る。」
 やや棘のある声でそう告げ、キャロディルーナは木槌を叩いた。赤いカーテンが再び玉座を隠すと、場内には四人の継承者だけが取り残される。
 鋼は息を吐きながら重心を後ろへずらし、凝った首をほぐすために肩を揺すった。まだ鈍めの頭痛がしがみ付いてきていた。
 中二階で座っていた炎神の子らも鋼と同様、立ち上がって伸びをしている。ただ、その中で一人、茶髪の方の王子が階段を下りてくるのが目に留まる。鋼は取り繕うように姿勢を正した。外套の色はクリムゾンレッドに黒い裏地。その短髪は、光の加減で緑がかったようにも見える。黒いブーツが品よく歩を進め、鋼の前に到着した。
「お初にお目にかかります、ニェフリート王女殿下。先ほどは上段からの顔合わせとなり、大変失礼いたしました。炎神第一王子、フエゴと申します。どうぞ末永くよろしくお願いいたします。」
 フエゴは微笑を携え、軽く会釈した。日に焼けた健康的な褐色肌の少年だ。鋼が若干もたつきながら手袋を取って右手を差し出す。
「とんでもございません。こちらこそよろしくお願いいたします、フエゴ王子殿下。」
 鋼の言葉を聞き届け、フエゴは洗練された動きで手袋を取った。鋼はその様を見て確信した。彼は元皇族か、あるいはそれに匹敵する一族の人間だったのだ。ビジネスマンの類にしては所作に品格があるうえ、無駄も隙もない。
 鋼とフエゴは手を軽く握り合い、視線を合わせた。鋭さのあるフエゴの吊り目には、鮮やかなコーラル色の瞳が収まっている。離しざま、鋼は彼の手に古い火傷の痕があることに気付いた。
「マーメイドの海島は堪える寒さと聞いております。今年の冬は是非一度、ケンタウロスの密林までお越しください。一族をあげて歓迎いたします。」
「ありがとう。一度でいいから、生態系の豊かな熱帯の森を歩いてみたいと思っておりました。ご好意、謹んでお受けします。来夏にはぜひ、マーメイドの海島にもいらしてください。」
「素晴らしいご提案をありがとうございます。雪国の海は澄んで美しいと聞き及んでおります。喜んでお伺いいたします。」
 そう言った顔に浮かぶのは至極上品な笑顔だった。が、なぜだろうか。鋼は、何かしこりがあるという印象を受けた。されどそんなのは束の間で、一生のうちに隠し事の一つも持たない人間なんていないだろうと思い直す。
 彼の外套の合わせ目では、オレンジ色のトパーズがきらめいていた。やや楕円形のブローチだった。
 鋼が話の続きに踏み出さないのを察して、フエゴはいつの間にか手袋をつけていたらしい右手を挙げた。
「よろしければ、第二王子と王女を紹介させていただけますか。」
 鋼が快く頷くと、フエゴは中二階を仰いで二人を呼んだ。二人が落ち着きなく階段を下りてくる。
 二人がそろって横に並ぶのを見届けると、フエゴは鋼の方に向き直った。
「第二王子のブルーノと、王女のライナです。」
 紹介を受けて、鋼がにこやかに会釈をする。
「はじめまして。ブルーノ王子殿下、ライナ王女殿下。」
 そこまで言ったところで、ブルーノは弾けるように挨拶を返した。
「はじめまして、ニェフリート王女殿下。お顔合わせが叶い光栄です。次回はぜひ、歓談の場を設けさせていただきたく思います。」
 気を付けの姿勢をした拍子に、おかっぱ髪と黒地の外套がしゃんと揺れる。垂れ目に宿る瞳は水色で、不安の色が滲んでいた。
「歓迎いたします。ぜひ、皆さまをお招きして茶会などいたしましょう。」
 にこやかにそう言いながら、鋼は握手を求めなかった。案の定、ブルーノは少し緊張を緩ませる。外套の合わせ目では深い色のレッドジャスパーが灯りを反射した。
 そうなると心配なのはライナの方だ。外套を揺らして縮こまったライナは、やや病的にきょどきょどとしていた。忙しない大きな水色の瞳が二つ、色黒できめ細かな肌の中に浮かんでいる。ぴっちりと集めた縮毛はおさげの三つ編みにされていて、ちょうどその毛先の辺りで外套を止めているブローチはオパールのようだった。
「はじめ、まして……ニェフリート王女殿下。」
 目も合わせず、か細く口籠ったライナの顔は、見る見るうちに真っ赤になってしまった。紅玉りんごに引けを取らない、むしろ悪いといえる顔色にフエゴが困り顔を浮かべる。
「申し訳ありません。ひどい人見知りでして、ご容赦ください。」
 すでにライナはフエゴの影に隠れてしまっていた。場面緘黙症だろうか、などと考えながら柔和に微笑んで返す。
「お気になさらないでください。何であれ、人それぞれペースは違うものですから。改めて、今後ともよろしくお願いします。」
 ブルーノの畏まった返事と、もはや涙声になりつつあるライナの返事に、鋼は思わず目を細めた。だが同時に、その瞳が次第に陰っていくのを止めることもできなかった。
 生まれ落ちた時には皆、何の表層も纏っておらず、その美しく個性的な素形(すがた)は多くの場合、かけがえのないものとして尊ばれ愛される。なのにそのほとんどが、いつの間にか作り物のようになってしまうのだ。システムに乗って流れていくだけの儀式的な人生を、誰かがやったのとほとんど同じに歩みだす。自分だってそうだ。いずれは定められた通りに、ブルーノを婿王として招かねばならない。
 神は種族も数も少ない。だからエレメント神のシステムのほとんどは、しがらみより合理性に基づいている。成年順にペアを組んだ異種族同士の男女神が、それぞれの神名の元に契約の祝詞を上げることで、地上に生まれたばかりの幼子を継承者と定める。そして地上の肉体が眠りについている間、神みずからが幼子に幻想界への道のりを教え、神として育てる、というのもその一つ。肉体を持たず、にもかかわらず不死でも不老でもない我々なりの世代交代の在り方を模索した結果にできたものだ。女王制になったのも、継承者が母方の神技を継ぐ性質があるためだった。だから、女児が生まれるまでは継承者を呼び続ける必要があるし、女王位をめぐる争いが起こらないように、女児が生まれた以降は継承者を呼んではならない。
 それぞれ理論上正しい。だが、合理を求めすぎた作業的な生産に思えて、鋼はいい気がしなかった。というかそもそも人間の誕生そのものが、鋼をずっと苦悩させることの一つだった。
 いつしか人間にとって、こどもは授かるものでなく作るものになった。あげく、先天的に生殖能力のない人間でもこどもを設けられるような技術までもが発展した。産み落とすというあくまでも自然で動物的であるはずの行為を、人間は下手についた知恵でもって不完全な秩序の中に押し込めてしまった。
 今や、こどもは生まれさせられるのだ。生殖に関する技術は消費者である親本位で進歩する。だから前もって意思を表明できないこどもに選択肢など存在しない。親によって恣意的に作られる自然を、それがいかなる不条理であろうと、こどもは受け入れるしかない。
 古くより、人間の活動は自然の一部だとされてきた。ほかのすべての生命と同等に、無視し許されるべき意思のない自然の循環の一つだと。でも鋼にはそれがずっと引っかかるのだ。一つの疑問が、氷山のようにぷっかりと浮かび上がって進路を塞ぐ。
『それは本当に正しいのか? あれが本当に、自然な姿と言えるのか?』
 未だ解を出せないその問いに、首根っこを噛まれ揺さぶられる心地がして、鋼は身震いを起こした。矛盾していく。引き戻される。人間が、尊い肉塊に見える。快楽に溺れた脳が腐って、粘ついてそして、黒く淀んでいくのだ。
「——殿下、ニェフリート殿下。……大丈夫ですか?」
 フエゴの声に逆方向へと引き戻されて、鋼は目をしばたかせた。そしてやっと、フエゴが心配そうに顔を覗いているのに気付いた。
「ごめんなさい。気にしないで、大丈夫です。……ありがとう。」
 フエゴの戸惑う姿を脇目に手袋を付け直す。それでも指先の微かな震えはおさまらず、フエゴは鋼の顔色の悪さと共にそれに気付いて半歩引いた。鋼は鋼で、フエゴの動揺の仕方が普通でないのを見抜き後退った。そして、なんでもないように苦笑してみせる。
「申し訳ありません。情けなくも、少し疲れが響いたようで。」
「あ、いえ、とんでもございません。こちらこそ、お疲れのところを長く引き止めてしまい失礼いたしました。どうぞ、ご自愛くださいますように。」
 会釈したフエゴに鋼が礼を言うと、継承者たちはぎこちなく別れを告げ、中二階へ戻っていった。鋼の目が無意識に、兄たちの警護に挟まれて階段を登るライナを追う。
 彼女もそうだ。ついこの間、人としての生を終えたばかりの地神の子を婿に取ることになる。彼は確か早死にした方であるから、成年するまでにはまだかなりの時間を要するはずだ。その間、ライナは一人で炎神領域を切り盛りすることになるだろう。重そうに外套を引きずって歩く背中は、なんだかやけに小さく見えた。
 ようやくかれらから目をそらした鋼は、頭の奥の鈍痛を和らげるためにこめかみを指圧した。暑くはないはずなのに、汗をかいている気がして居心地が悪い。その微かな不快感から、獣が朧に滲むような感じさえする。
 しばらく呆けていると木槌が鳴った。鋼が姿勢を正したのとほとんど同時に玉座を覆うカーテンが開き、女王と王が姿を表す。
 議長が靴音を鳴らし、一歩前に出た。
「全神会議を再開する。此度検討されるべきは二点。禁忌を犯したニェフリートに対する処遇と、仮称ゴーストへの対処である。では風神から。」
 そう言ってキャロディルーナは右手を示すと、静かに席に着いた。議長と入れ替わりに、左端の窓辺で女王が立ち上がる。
「ハルピュイアの高原より、風神エーテルが物申す。」
 少し嗄れた声で定型文を謡ったエーテルは、鋼を静かに見下ろした。どうも値踏みされているらしい。鋼は視線が合う事のない程度にエーテルの方を見上げながら、その白緑のドレスから伸びるチョコレート色のしなやかな腕の動きを追った。その手が口元にかざされると、ぎこちない咳払いが一つ響く。
「ニェフリートの行為は、未曾有の緊急事態であったことを踏まえたとしても、軽率かつ酷薄だったと言わざるを得ない。よってニェフリートに対して、継承者としての義務を果たす必要に迫られない限りは、一年間の神技剥奪を要求すべきと考える。また仮称ゴーストについてニェフリートに、所持するすべての情報の開示及び対処についての具体的な提案を要求する。以上。」
 言い切ると、エーテルは少しだけ顎を引くような動作をした。
 幸先がいい。一年程度ならと、鋼は内心胸を撫で下ろした。黒刃に貸した左腕分についての言及もない。彼の修行の邪魔もしなくて済むだろう。
 視界の端で、エーテルが席へと帰っていくのが見えた。鋼がその右隣の席の方を向く。と、低いヒールが床を叩いて、主人を窓辺まで進ませる音がした。
「ゴルゴーンの湿地より、地神女王フェイが物申す。」
 フェイの声はエーテルと打って変わって、反物のように鮮やかで潤いのあるものだった。フェイが息を吸う。
「使徒に情が移るというのは理解できる。だがその危機を前に冷静さを失うというのは、女王位継承者として未熟であることの現れ。神技を剥奪することはその力に対する自覚と責任から目をそらすことと考え、ニェフリートには心からの反省と今後の精進の二点を要求する。また、仮称ゴーストに対してであるが、原則個としての欠損を許されない使徒に重傷を負わせるほどの凶暴性は無視できない。対処方法を具体的に示し合わせる必要があると考える。」
 言い終わるとフェイはほんの一瞬、鋼に向かってはにかんだように思えた。赤いチャイナドレスが窓の奥に下がっていくのを目で追いながら、鋼がまた息をつく。
 されど束の間、その安堵を刺すように鋭い杖の音がこだました。フェイと同じ窓の奥で人影が立ち上がる。
「此度の全神会議において、ゴルゴーンの湿地より風神王キースは、すべての所見に関し地神女王フェイと同じ立場を取る。以上。」
 だが、いざ姿が見えたと思うや否や、彼はそれだけを言って席に帰ってしまった。いつものことだ。出席こそするものの、キースはいつも妹であるエーテルか伴侶であるフェイの意見に賛同するだけ。しかしながら、それが怠惰から来ているようには思えない程度には、声に芯があった。発言しないことに執念じみた決意を感じるのだ。
 キースの去り際にちらりと見えた、深緑のポンチョの裾に施された伝統模様のようなものを記憶の隅に描き写す。目をしばたいた鋼は、議長席を飛ばし、その右隣の席を向いた。
 と、計ったように女王が立ち上がる。カンカンとピンヒールの高い音が石床を打った。
「ケンタウロスの密林より、炎神女王メリッサが物申す。」
 メリッサの煙のような声はしばらく黙して鋼を見つめると、やがて意を決したように強く息を吸った。その手が窓の腰壁に添えられる。
「まず仮称ゴーストについて言わせてもらうが、女王にはエレメント自体の均整管理、王には域内生物の監視という役割がある以上、それ以外への対処は継承者任せになる。しかし今回判明した凶暴なゴーストの存在を鑑みるに、その対処をかれらに任せきるというのはいささか酷であろう。かと言って女王や王が本来の役割を後回しにするわけにもいかないし、当然、未成熟な継承者に女王や王の代わりは務まらない。言うまでもなく優先されるべきは継承者の安全。必要なのは単に対処法の提示ではなく、誰が対処すべきか、そして対処すべき者の本来の役割をどうするのか、という議論ではなかろうか。」
 鋼を見つめながらメリッサは続けた。
「前例が四件すべて水神領域内で発生していることから、ゴーストに対処した実績があるのは水神だけだ。当然、ニェフリートの神技を封じるのはゴースト問題に対して現実的とは言えない。よって、使徒との一時的な隔離というのが罰則としては妥当と考える。」
 言い切ったメリッサが振り払うように踵を返すと、大きな鉄鋼片のピアスがチリンと鳴る。
 その意図を理解した瞬間、鋼は上唇がひきつりそうになるのを堪えた。メリッサと入れ替わりに立ち上がった王が窓辺まで進んでくるのが見えて、キュッと唇を結ぶ。
「ケンタウロスの密林より、地神王テオドロが物申す。」
 テオドロの柔らかいハープのような声音に聞き入る余裕さえ、鋼にはなかった。その苦々しい表情に気を悪くするそぶりもなく、テオドロが口を開く。
「使徒を持つ王として、まずニェフリートの使徒を守ろうという強い思いに敬意を表したい。しかし軽薄な手段には忠告をしておこうと思う。今後このようなことが起こらないことを期待する。次にゴーストについてだが、対処法を考える前にその実態についての詳しい報告を求める。また、水神以外の神技がゴーストに有効であるかを実験する必要もあると考える。以上です。」
 のんびりとそう言って、テオドロは踵を返した。木靴が床に当たる特有の音を聞きながら、鋼は足先で床を掴むように踏みしめた。
 テオドロの罰則に対する要求は内容がない。つまり、エーテルとフェイ・キースが神技の剥奪について対立したことから、代替案であるメリッサの意見が通りやすくなったという事だ。ここまで計算のうちなら末恐ろしいが、そんなのはどうでもいい。問題は、罰則に抵抗する意図はないと明言した手前、反論ができないことだ。力んだ足の筋肉が膨らむ。
 黒刃との隔離。それだけは何をやってでも回避せねばならない。鋼は強く噛んだ奥歯に意識を集中させた。
 一人は慣れっこだ。むしろ他人を拒むことで生活してきた。病んで以降は人間不信にも拍車がかかって、ついには彼という希望以外まっとうに生きる理由がなくなったけれど、俺は不幸だなんて少しも思わなかった。それが人の世で生きるための術だったのだから。
 まるで俺の半身。もはや俺の人生。それを、今更奪われるわけにはいかないのだ。
 メリッサに焚き付けられて、鋼の瞳は沸騰するように滾っていた。水の匂いが場内を満たす。なるほどこれが本性かと、場にいるほとんどが身震いするか苦笑を浮かべた。
 その中で風神たちだけが明らかに顔をしかめたのに対し、キャロディルーナは唯一、全くの無表情を貫いていた。

この度のお話、お楽しみいただけましたでしょうか。今後も、内容やテーマに対して責任をもち、読んでくださるみなさまに思いが届くよう、作品と真摯に向き合っていく所存でございます。 もしも支持したいと思っていただけるようであれば、サポートという形でお気持ちをいただけると恐縮です。