「どうぞ、幸せな人生を」
あなたは、誰かに言われた一言で忘れられない言葉って、ありますか?
本日、どうやら42歳の誕生日を無事に迎えられたようです。
誰もが思うのでしょうが、(そして毎年歳を重ねるたびに思うのでしょうが)42って昔はなんだか途方もない数字に思えたので、自分がまさかそこに到達するとは・・・と言う思いです。
そして、途方もないからこそ、もうちょっとちゃんとした大人になっているのかと思っていたのですが、なんかイメージと違ったな。。。
ちょっと前に、何で見たか忘れてしまったのでうろ覚えなのだけれど
20代の魅力が100%だとしたら
30代は50%
40代は10%
というような表現を見かけて、そうか、やっぱり世間的にはそう言う感じなのね、と。
普段あまり年齢を気にしていないつもりなので、そういうことは深く考えずにのほほんと過ごしてきたのですが、なるほど自分はもうオワコンなのね。そういう風に言われる世代なのね、としみじみ。
もちろんそう言った考え方には全く同調しないですし、オワコンどころか今が一番いいと思っている人間なので外野がどう言おうが構わないのです。
ただ、自分が既に「そういう年代」であることを、改めて感じた出来事でした。
そういったこともあり、最近になって「どうやら自分は、人生の中のこれまでとは違うステージに足を踏み入れているんじゃないか」と思うようになりました。大変今更なのですが。
昨年にとてもとても大きなきっかけがあって改めて人生を見直すことになり、引っ越しもしました。もしかしたら今、人生で初めて「本当の道はこれだったんだ」と実感しながら生きられているかもしれません。
それまで一生懸命自分を探求し、内省をして、勉強をして、セッションを受けたり、講座を受講したり、それはもう色んなことをやってきましたが
(ああ、自分自身に関する学びは、一旦ここでもう必要なくなったかもしれない)
と思った瞬間があったんです。
それはもちろん、自分が完全体になったというような類いの勘違いでは無く、自己の成長はこれからも必要だと思っています。
が、それとは別にして、やっと自分に合ったちょうど良い大きさの場所にすっぽりハマることができたと言うか・・・
以前は自分に何かが欠けているような気がして仕方がなくて、それを補おうと必死だったのが、今はそんな欠乏感もほとんどなくなりました。
例えるなら、お気に入りのカップにおいしいお水がたっぷり入っていて、溢れることもなく、過不足なく、喉を潤してくれる・・・と言った感じ。(伝われ)
そうですね、私の10代、20代、30代・・・つまり人生の大半はボロボロだったので、今人生で初めての「安定期」と言っても良いのかもしれません。
それと比例して、20代、30代の方にちょっと話を聞いてほしい、と相談されるような機会が増えたり、娘がちょっとずつ親離れしていく様子を目の当たりにしたりして・・・
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冒頭の言葉は、私が学生の頃、3年間ほどやっていたレストランのバイトを辞めるときに、パートのおばちゃんにかけてもらった言葉です。
別に特段仲が良かったわけではないのです。
でもその方は「ああ、そうなの、残念だわぁ」と言ってから
「どうぞ、幸せな人生を」
と言ってにっこり笑ってくれたことが、ずっとずっと、私の心に残っていました。
思えば、そんなふうに「幸せになってね」と声をかけられたことなんて、あっただろうか。
もちろん結婚式の時なんかはそういう言葉で溢れていたと思うけど、もっと違う、普段の生活の中で幸せを祈られるようなことって、果たしてあったかな。
別れ際「元気でね」と言われたことはあっても、「幸せになってね」と言われたことはたぶんあまりない。
そして私も、人にそんな言葉をかける余裕もなかったのだ。
今思えばその「パートのおばちゃん」って、たぶん今の私くらいの年齢だったと思うんですよね。ご主人がいて、お子さんがいて、昼間の手の空いた時間に9時〜15時のランチタイムでシフトに入ってる。
彼女も、一見外からはわからない、色んなものを抱えていたのかもしれない。
でももしかしたら、その時にようやく「幸せな人生を」と、20かそれくらい年下の女の子の幸せを祈ることができたのかもしれないな・・・
などと、20年も経った今になって、勝手な想像を巡らせています。
思えば去年、「自分を幸せにするぞ、してあげるんだ!」と決意したことが大きかったと思うんです。
自分が幸せを感じられていなければ、人の幸せを祈ることなんて、できないから。
これからは、人の幸福を祈るような、そういうことを私もしていきたい。
あの時自分が声をかけてもらってずっと救われたような気持ちでいたから。
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