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今、競馬専門紙の価値を問う ①
なぜ今、この話題?
私が本格的に競馬を始めた1990年代初頭、多くの競馬ファンにとって、主要な情報源となっていたのは、競馬専門紙、スポーツ紙、夕刊タブロイド紙でした。
あれから約30年、ネット上には競馬関連のさまざまな情報があふれかえり、予想にAIを活用しようとする動きも本格化。
情報源が多様化するのに伴って、かつてはその最高峰に君臨していた競馬専門紙も、ここ10数年の間に廃刊が相次いでいるくらいの現状ですから、客観的な視座から見ても、その存在感が徐々に薄れつつあるのは確かなのでしょう。
ただその一方で、競馬専門紙の持つ役割が完全になくなってしまったのかと言えば、決してそんなことない。そう私は理解しています。
なぜなら、確かに情報源の多様化が進み、世の中に発信される情報の「量」こそ、以前とは比べものにならないほど増加してはいるものの、反面、発信される情報の中には、いわゆるフェイクニュースがたくさん紛れ込んでいるのも事実。
情報の「質」という部分に着目してみれば、玉石混交の「カオス」とも言える状況はどんどんと加速化していますし、それに伴い発信される情報の「質」の平均値は、下降の一途を辿っているとも言えるからです。
つまり、有用な情報とそうでないものを的確に峻別し、それを上手に整理することに長けた人にとっては、今は間違いなくいい時代。
なんだけれども、こういった作業が苦手な人にとっては、今は単なる情報過多の時代でしかなく、昔と比べてより混乱を生じやすくなってしまった。
そうも言えるのではないでしょうか。
よって、むしろこんな時代だからこそ、いわゆる専門紙のトラックマン(マンは「人」の意)の仕事は、以前にも増してその価値が高く評価されてしかるべき。
ネット上に氾濫するインチキ情報に触れるたびに、ついそんなことを思ったりもするのですよね。
もっとも、競馬専門紙のあり方という視点で言えば、以前からいろいろと思うところはあるわけです。
ですから、今ある現状を全面的に支持しているわけではないのですけれど、時代が変わったからといって、競馬専門紙の存在意義が極端に薄れてしまったという認識は、少なくとも私の中にはないかな、と。
今日は少し空き時間があったので、私なりの視点で、あれこれと競馬専門紙の価値を問うてみたいと思います。
オブラートに包むような書き方はしたくないので、ところどころ表現が強くなってしまう場面があるかもしれませんが、決して感情的な批判や苦言をぶちまけたいわけではなく、むしろ「競馬専門紙なんて過去のもの」と思っている競馬ファンの方に、競馬力向上のためにその価値を改めて見直してみてはどうですか、と伝えられたらいいな、と。
このコロナ禍で、競馬場やWINSでの競馬専門紙の売り上げが、かなり限定的になってしまっている現状でもありますしね。
そんなこんなですが、よかったらコーヒーを片手に、少しの時間だけお付き合いくださいませ。
過去の自分を振り返ってみると……
今でこそ、自分なりの予想理論を確立し、いっさいブレることなく競馬と向き合えている私ではありますが、競馬をはじめたばかりの若かりし頃を振り返ってみれば、予想理論はおろか、何を拠りどころにして馬券を買えばよいのかもわからない、いわば「暗黒の時代」があったものです。
そんな時、競馬関連の情報が掲載された情報媒体を、手に入れられるものであればひととおり、隅から隅まで読み漁った記憶が残っています。
今は廃刊となってしまった「ホースニュース・馬」や「中央版ケイシュウニュース」などの専門紙はもちろんのこと、「東京タイムズ」や「内外タイムス」といったローカル紙にも手を伸ばしたりしましたね。
しかしながら、いずれの情報媒体に依存してみたところで、馬券成績が上昇することはありませんでした。
今、考えてみればこれは当たり前のことなんですが、当時はそれに気づくことすらできなかった。
今でこそ、「競馬の予想はこうやるんですよ!」と言わんばかりのふてぶてしい態度を取っていますけれど、遠い記憶を掘り起こしてみれば、過去にはそんな"フツウ"の私がいたりもするのです。
転機となったのは、あるひとつの「気づき」
私にとって、大きな転機が訪れたのは、90年代半ばのことだったと記憶しています。
▼ 情報は、その客観性こそが命。主観まみれの情報に、高い価値を見いだすことは難しい
▼ 情報は活かし方次第がすべて。どんなに有用な情報を入手できたとしても、上手に活かす術を知らなければそれは無用の長物でしかない
多様な人生経験を積んでいく中、競馬とは無関係な場面で、私はこうしたことにふと気づいたんですね。そして、その「気づき」以降、競馬関連の情報媒体との私の接し方は、大きく変化していくことになりました。
「主観」と「客観」
さて、唐突ではありますが、ここで皆さんには、読売や朝日など、大手一般紙の紙面を思い浮かべてもらいたいと思います。
よくあるのが、ニュースバリューが高いトピックスを一面や社会面で紹介し、そのニュースに対する社としての考えを社説で述べるというパターン。
つまり、一面や社会面が「客観」であり、社説が「主観」ということになります。
厳密に言えば、必ずしもそうとは言えない場面も散見されますが、ここでは、便宜的にそういうことにしておくことにしましょう。
そこで、例えばですが、一般紙の社説に書かれた内容こそが「唯一無二の正義なのだ!」と理解したとしましょう。
これだと、実質は新聞社の考え方にタダ乗りしているだけですから、その奥にある「ものごとの本質」には、一生かかっても辿り着くことはできない。そんな気がしないでもありません。
反面、まずは一面や社会面の記事(客観性が高い)に目を通し、バフっとしたものでもいいから、トピックスの中身について自分なりの考えや思いを持つ。
そして、次のステップとして社説(主観性が高い)を読めば、他者の意見にも真摯に耳を傾けるという行為により自らの考えがブラッシュアップされ、「ものごとの本質」に一歩近づくことができる。
たかが新聞、されど新聞。対象物は一緒なのに、アプローチの仕方次第で、見えてくる景色がこれほどまでに大きく変わってくるんですから、人生って本当に不思議ですよね。
主観優先主義がもたらす「影」
では、この大手一般紙の話題を、競馬関係の媒体に置き換えて考えてみるとどうでしょうか。
そう、当時、私は気づいてしまったんですよ。
多くの競馬関係の情報媒体では、評価や予想という「主観」ばかりが優先され、リアルな情報を的確に読者に伝えるという「客観」の部分が、ことさらに軽視されているんじゃないか、とね。
でもそのことに、私は最初からは気づけなかった。
だから、当初は、紙面上の「主観」の部分を、必要以上に自分の中へと取り込み過ぎてしまっていたのですよね。
冷静になって考えて見れば、それじゃあ「ものごとの本質」なんて見えてくるはずがない、だから、予想は当たらない、たまに当たってもトータルでプラス計上できるはずがないって、ちゃんとわかるのですけれど、、、
もちろん、競馬専門紙の主流が、相も変わらず主観優先主義に陥ってしまっている背景には、当然、読者側のニーズの問題もありますから、制作側の努力が足りないのだと一方的に批判するのは、ちょっと筋が違うんじゃないかと私は思っています。
その一方で、いつも思うのは、時代とともに読者側のニーズにも変化が生じている中で、そこに制作側がうまくアジャストできていないという側面もあるのではないか、ということ。
このことと、世の中で競馬専門紙の存在感が徐々に薄れつつあることには、一定の相関性がある。そんな気がしてならないのです。
競馬専門紙が抱える恒久的な課題
ところで、競馬専門紙やスポーツ紙などの紙面上において、「○○記者、3連単××円を本線で的中!」みたいな売り文句をしばしば見かけることがあります。
これは、予想が的中したことにフォーカスして、自社の優位性をアピールする方法の最たるものと言えるでしょう。
私個人としては、こうした「リア充切り取り型」のアピールというのは、明らかに時代遅れだと思っていて、せめて「○○記者、先週の回収率××%越え」くらいの切り取り方にしてほしいと思っているのですが、この話題は本題から少しずれてしまうので、また別の機会にということで……。
そうそう、ここで皆さんに注目してほしいのは、予想がよく当たる競馬専門紙こそが、本当の意味で優れた専門紙なのか、という素朴な疑問についてなんです。
この令和の時代にあっても、競馬専門紙に掲載された買い目を参考に、あるいはそのままコピーして馬券を買っている競馬ファンが、一定数いることは私もよく理解しています。
このようなファンの目線で言えば、紙面に掲載された予想が当たるか当たらないかがほぼすべてですから、大局的には、予想の質が競馬専門紙の価値を決めている部分は確かにあるのかもしれません。
ただその一方で、私のように自らの予想理論に基づいて馬券を買っていた人間からすれば、トラックマンや記者の予想が当たるかどうかなんて、ハッキリ言ってどうでもよかった。
そう、そう、そうなんですよ! 誤解を恐れずに言えば、客観性の高い情報を掲載している競馬専門紙こそが最も優れた情報媒体なのであって、トラックマンや記者の予想が当たったかどうかなんて、何の評価基準にもなりゃしない。
大量の馬券をガシガシと買っていた当時の私なんて、それくらいの感覚でしかなかったと思います。
そして今の時代、私と同じように、自らの予想理論に基づいて馬券を買う競馬ファンは、確実に増加の一途を辿っています。
だとすれば、「予想なんてどうでもいいから、客観的な情報をもっと充実させてほしい!」。そんな要望を持つ競馬ファンは、確実に増えてきているのではないでしょうか。
(次回②に続く)
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